平和教育と75年目の終戦の日

75年前の今日、広島、長崎への原爆投下を受けて日本は降伏し、長きにわたる太平洋戦争が終わりました。

コロナ禍に押され、今年は戦争の話題が薄くなるのかな、と思っていましたが、75年目という節目はやはりこみ上げるものがあります。


戦争を知らない世代の私がどうしてこんなに戦争について考えるようになったかというと、子供の頃の教育に他なりません。


幼稚園~小学生時代を過ごした福岡は平和教育が盛んだったように思います。
幼稚園の頃に福岡に引っ越し、家族で出かけた長崎で初めて戦争について学びました。原爆資料館で恐怖を覚え、そこから夜が怖くなりました。
小学校に上がれば毎年8月6日は登校日で、階段や廊下に戦争の写真が貼られ、戦争体験者のおばあちゃん先生が全校放送で泣きながら語る体験談を聴きました。
「はだしのゲン(実写版)」「ピカドン」「にんげんをかえせ」などの映画を体育館で見て、母が作ったピカタという料理が食べられませんでした。

そして小学校6年生の修学旅行で再び長崎へ。
バスの中ではバスガイドさんの話す原爆の話が今でも記憶に残っています。原爆投下時間の午前11時02分。一本足の鳥居。パイナップルの話。平和の泉の話。そして「原爆を許すまじ」という歌。 感受性が鋭かった私は、激しい爆撃に破壊された街を想像し、放射能をあび水を求めて油の浮いた水を飲んだ少女に胸が苦しくなり、「原爆を許すまじ」の曲調や歌詞に怯えたものでした。


当時は「戦争は怖いもの」としか思えませんでしたが、こうして大人になると、当時の世界情勢や国のために戦った人たちの無念、敗戦から立ち上がる日本人の底力など、75年間平和を守り続けている日本人の反省をすごく感じます。


20代の頃、留学に来ていたシンガポールの友人と第二次世界大戦の話になり、平和教育を受けてきた私は、原爆のむごさ、悲惨さ、間違いを論していました。しかし、彼女は原爆によって自分たちの国は解放されたから正しかったと言いました。
そのときはものすごく腹が立ちましたが、冷静に考えればそれぞれの立場があって、同じものをそれぞれの立場から見れば意見が食い違う。そしてどちらも間違いではない。それぞれに正義があり言い分があることを学びました。


そこから戦争への見方が変わりました。


いつまでも敗戦国のままでいいのか、GHQに洗脳されたまま、などの議論も上がりますが、私はそれでいいと思います。
反省を忘れたらまた日本はまた調子にのってよからぬ方向に向かうのではないか。人間は良くも悪くも忘れてしまう生き物だから、常に反省をし続ける方がいいと、そんな風に思ってしまいます。もちろん悲観的にならず前向きな反省です。
多くの日本人は、きっとそうやって戦後の日本を作ってきたのではないでしょうか。


どうか今も平和教育が続いていますように。そしてこれからも続きますように。


いまある平和の素晴らしさに胸が熱くなる、75年目の終戦の日です。

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