退院から2週間!1日に2度も救急車に乗ることになった父の話〜認知症家族介護日記2回目~
こんにちは。
エンディングノートナビゲーター®、終活講師あかさんです。
遠距離介護から同居介護へ
介護日記の1回目では「突然同居介護が始まった経緯」についてお話ししましたが、今回は3月の2回目の緊急入院について。
敗血症ふたたび・・・1日に2度も救急車に乗る
順調に回復していたように見えた父ですが、退院から2週間、またしても父が突然の激しい腹痛を訴えます。
私は訪問看護師に連絡をし、かかりつけ医と相談するも再度の入院を検討することになりました。
しかし私と父は、前回の入院経験で医療機関との信頼関係が良くなく、当初の病院に戻ることは絶対に嫌だ!と思っていました。父も「あの病院には行かん!」と意思表示。
もともと、在宅診療にするときに「最期は自宅で」を希望しており、急変時にもなるべく救急車に乗らない、回復の見込みがありどうしても入院が必要な場合は、かかりつけ医の病院へという話をしていました。
なので、また急変という事態に「もう家で最期になってもよいでしょう」という思いもありました。
そのことをかかりつけ医に訴えるも「救急車で運びましょう」との回答。なんとか入院をしない方向でと考えましたが、父の痛みもどんどんひどくなり、最後は父の意志で救急車で病院に戻ることになりました。
痛みで興奮する父、入院を拒まれる
病院は、以前の病院ではなく別の救急病院に向かったのですが、病院での処置が難航。というのも、痛みと混乱で点滴を1本打つにも大変で、先生には「こちらの病院では、スタッフも少ないので夜間の対応ができかねます。なので、点滴が終わったらご自宅に帰られるほうが良いかと・・・」と言われる始末。
まぁ・・叫んでいたのも聞こえていましたし、痛みを訴えるのは人一倍しっかり訴える父なので、仕方ありません。
その時は、体重も多く(今は当時から15キロ減)、点滴を抜くなど暴れると大変でした。
ということで一旦退院。
一日に2度も救急車で運ばれる父
実家の住宅の構造は、1階が玄関で中の階段で居住スペースは2階という作り。なので、力の入らない父は自力では2階のベッドに行くことができません。
そして父は、小さいけど重い・・・
救急車で運ばれるときには、救急隊員さんが布たんかにくるんで引きずり降ろしてくれるわけですが、帰りが大変です。
その時も、介護タクシーさんが男性3人がかりで引きずり上げてくださって、なんとか2階のベッドへ。
しかし、また数時間後には父の痛みが悪化。
「さっき大変な思いをして帰ってきたばかりなのに!」と、かかりつけ医に連絡はするものの「もう救急車には乗せたくありません」と、今回は本気で訴え続けました。
それでも「私もそちらに行きますから。とにかく前回の病院にもう一度入院して処置を受けましょう」と先生も引き下がりません。
時間は23時を回ろうとしていました。
痛みで意識が朦朧としている父に「病院に行くの?」と聞いても首を横に振ります。
もちろん、そのまま自宅にいれば苦しみながら最期を迎えるだろうことはわかりました。それでも、救急車で運ばれて嫌だという病院で過ごすことが父にとって良いのか・・終末期の意思を確認していたとはいえ、悩みました。
最後は、先生の熱心な説得と、父が「行く」と一言いったことです。
結局、同じ日に2回目の救急車で病院に戻ることになりました。
このエピソードでは、あかさんが家族の介護に取り組む苦労や家族の思いが一部始終が詳しく語られています。
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「書いて残す理由と意義がよくわかる! 30代から始めるエンディングノートのつくり方」
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