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洋•未完

☦️ 「洋  未完」  ※未完、という題名です。

 この男を、小説の中に連れて行こうと思った。厳しい日常とはかけ離れた、ドラマチックな世界に。そうして蓋をして、鍵をかける。人様が聞けば、鼻で笑われてしまうだろう。だが、私の現実は、妖しく緩やかな渦を巻いて、洋を飲み込んでゆく。

 ある倶楽部で洋を見つけた。私の複雑に絡み合った文章と心を、確実に分析し、感想を述べる洋に、私は『ドクター』という渾名をつけた。私は、プライベートでは、洋を『ドク』と呼んでいる。私だけの名前だ。私は愛する人には、必ず、特別な呼び名を贈る。

 数日前、息子と馴染みの店に訪れた。丁度、支払いを済ませた男性客が、すれ違いざまに声を掛けてきた。

「尚美さん?尚美さんでしょう」

「あら。どなたかしら?」

「僕です。林です」

「ああ。Facebookのグループで御一緒の林さんでいらっしゃいますか」

「はい。そちらは?息子さんですか」

 息子を横目で見ると、林に向かって軽く会釈をしている。

「そういえば。ナオミさん。恋人とはどうなりました?もうベッドインしたのかな」

 私と息子は、視線を交わした。林を見るとほくそ笑んでいる。どうやら私を困らせようとしているらしい。

「まだ、恋人とは会っておりませんの。しかし…」

「しかし?」

「まぁ、男と女ですから、会えば、抱き合う事になるでしょうね」

「ご主人と子供がいるのに?」

「浮いた話の一つや二つあった方が、女冥利に尽きるというものです。いつまでも女でいたいですわ。そういう貴方は、そんなお話とは全く縁が無さそうですわね」

 息子が吹き出した。

「あら。言葉が過ぎましたかしら?では。これで、失礼いたします」

 私は膝を軽く曲げて、頭を下げた。林はそそくさと店を出て行った。息子と奥の席に着く。女将が慌ててやってきて、テーブルに水の入ったグラスを置いた。

「作家さん。大丈夫ですか?」

「はい。なんということはございません。ご心配なさらなくても大丈夫です。いつものをお願いします」

「分かりました。食後はホットコーヒーですね」

「はい。あなたはどうするの?」

  息子の方を見る。

「僕も、母さんと同じでいいよ」

 女将が微笑み、うなづいた。

 私は 店の窓から外を眺めた。山々に雲の影が映り、ゆっくりと、移動してゆく。まだちらほらと紅葉が残っている。季節の足跡は、時期に雪がかぶさり、森は白い化粧をほどこす。私は瞳を閉じて、洋の贈ってくれたオルゴールを想った。蓋を開けるとカノンが流れる。洋と私の物語を入れ、鍵をかけよう。

「母さん」

「なあに?」

「母さんは、恋人に何をしてあげたい?」

「そうね…温かいお味噌汁と美味しい卵焼きを作ってあげたい」

この後のストーリーは、『ドク』と私が創る。

 #創作大賞2023#エッセイ部門

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