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今はどうしているのやら。

毎朝ノルディックウォーキングをしている。
その日の気分でコースを変えて、ときどき、通ったことのない
静かな住宅街の小路を歩くときがある。
五月初旬、東方面の柳町を抜け平林を抜け、西和田の通りを
下って折り返し、北条町の住宅街を歩いていたら、
車一台通れるくらいの小路を見つけた。
抜けていこうと入っていったら、左手に朽ちた床屋の家屋が
在った。「BarBar NAGASAKI」の看板に、
ここだったのかと足が止まった。
ここの奥さんが、母の高校の同級生なのだった。
高校を卒業してから音信が途絶えていたのに、共通の友だちを
通じて再会した。以来、たびたび母を訪ねて来るようになり、
長らく付き合っていた。ときどき共通の友だちも交えて、
3人で食事に出かけたり、旅行に行っていた。
ところが困ったことに、そのたびに、約束の時間に遅れて
くるのだった。ながさきさん、いい人なんだけど時間に
ルーズでねえと、母がそのたびにこぼしていた。
日本舞踊を習っていて、ある日、師範の資格を取るために
五十万円が必要だという。
母に貸してくれと頼んできたのだった。
貸して大丈夫?時間にルーズな人はお金にもルーズだよ。
忠告したものの、友だちのためだからと貸したのだった。
その甲斐あって無事師範の免状をもらえて、
お披露目の発表会に母も招かれた。
帰ってきた母が、あんな踊りで師範になれるんだねえと、
あきれたように言っていたのを覚えている。
時間にだらしない人柄が、そのまま踊りに出ているかと
うかがえた。
そののち、少しづつ借りたお金を返しに来ていたのに、
しばらくしたら、ぱたりと音沙汰が絶えてしまった。母が、
病気でもしたかと心配して電話をかけたものの、本人どころか
床屋をしている旦那も息子も電話に出ない。
様子がおかしいと思い訪ねたところ、一家そろってもぬけの殻
だった。向かいのお宅のかたに尋ねたら、
営業をしてないなと思っていたら、いつの間にか姿を
消していたという。夜逃げですか。
あのとき、いったいなにがあったのかと眺めていたら、
空家のはずの玄関口に、防犯当番と北条南部組長の表札が
ぶら下がっている。
身内のかたか、それとも赤の他人が暮らしているのか。
気になったものの、すでに20年あまり昔のこと。今さらね。
消えた人の顔を思い出しながら、その場をあとにした。

夜逃げ人どうしているや夏の朝。




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