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優しい写りが好きで。

仕事場の入口のわきに、零余子の葉とヘクソカズラの葉が
茂っている。
茎が雨どいにも絡んで、二階まで届きそうな勢いだった。
気がついたら、窓のかすかな隙間から、仕事場の中まで
ヘクソカズラが入っていた。あれよあれよと茎が伸びて、
入口まで届いている。
植物の健気なつよさに感心をしたのだった。
善光寺界隈の木々の緑が朱色を帯びてきた。
深まる秋の景色を眺めにどこへ行こうか、
算段をしてしているのだった。
出かけるときは、いつもカメラをぶら下げて行く。
使うのはもっぱらフジフイルムのカメラで、
手ごろなサイズで持ち運びが苦にならないのが好い。
二年前、著名な写真家が、今のフジのカメラには
初期の頃に有った、写りの柔らかさがなくなったと
こぼしているいるのを見つけた。
キレキレカリカリの、鮮やかな写りは好みでなく、
色味も輪郭も、弱い設定にして撮っている。そんな身は、
写りの柔らかさが気になってしまい、
アマゾンで物色したら、九年前の最初期モデルの新品が、
値崩れした価格で売っていた。迷わずポチっとしたのだった。
手元に届いて、昨年買ったカメラと撮り比べてみたら、
たしかに景色の輪郭が柔らかく、色味も優しい。
機能が少なく不便なこともあるけれど、
好みの写りが手に入り嬉しいことだった。
別の著名な写真家が、フジのカメラは、
写真を撮らなくても触っているだけで愛しいと
言っていた。
最新型は性能も格段に向上して、キレのある写りを
するけれど、絵写りもカメラ本体にも、
フジ独特の情緒のある佇まいが薄くなった。
他のメーカーのカメラと変わり映えしなくなって、
さみしいことだった。
物への愛着は、性能の良さだけでは語れないのだった。
先日、ふと思いついてにアマゾンで検索したら、
なんと、手元の最初期モデルの後継機種の新品が、
これまた値崩れした価格で売っていた。
うっ、見つけてしまった。まずい、まずいぞ。
三日間迷いに迷って、ポチっとしてしまった。
こんなことばかりしているから、ちっともお金が
貯まらないのだった。

初紅葉古いカメラをぶら下げて。

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