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新澤醸造店まで。

酒屋の峯村君に連れられて宮城へ出かけた。
気に入りの日本酒、伯楽星と愛宕の松を醸している
新澤醸造店を訪ねたのだった。
これまでに、東日本大震災の前にいちど、
震災後に二度おじゃまさせていただいた。
峯村君が新澤さんの社長と取り引きを始めたのは、
今から二十年余り前のことで、宮城の知り合いの
酒屋から紹介されてのことだった。
社長がお蔵を継いだとき、それまでの酒の評判が
良くなくて、地元でも扱ってくれる酒屋が
少なかったときだった。そんなときに、
わざわざ長野の酒屋が扱ってくれることになり、
ご挨拶に来たときに誘われて、
宴の席を御一緒させていただいた。
二年後に伯楽星を造り始め、味の良さが評判になり、
ほどなく全国屈指の銘酒に昇りつめた。
日本航空のファーストクラスに採用されたり、
サッカーのワールドカップの公認酒に選ばれたり、
目覚ましい活躍に感心していた折りに、
東日本大震災が起きたのだった。
造り棟と母屋が全壊して、その有様を見たときは、
涙が止まらなかった。被災のあと、酒蔵を三本木町から
70キロ離れた川崎町に移転して、造りを再開した。
仙台に着いた翌朝、川崎町まで行けば、
良質な湧き水が出るお蔵の裏山が、冬始めの
あせた秋の色に満ちていた。
新澤さんの話を伺えば、
働いている蔵人の半分以上が女性で、
女性管理者が全管理者の半分を占めるという。
造りの規模に対して多めの蔵人を雇い、
設備投資を充実させて、就労時間を短くして、
蔵人の負担を減らしているという。
蔵人それぞれが自身の事情に合わせて、
仕事の段取りを組んでいる。
就労時間を短くすると、気持ちに、働き方や酒について
考える余裕ができるという。
蔵人の意見におおいに耳を傾けている
のだった。
そして、さらに良い酒を造るために、
蔵人みんな、日々の味覚の研鑽を怠らないという。
単に酒造りだけでなく、企業として末長く
向上していくにはどうするか。
視点が発想豊かで深い。その源になっているのは、
酒造りに関わってくれるかたがたへの、
温かな気持ちとうかがえたのだった。
初めてお会いした女性の蔵人が後日、
新澤は私たちを家族のように扱ってくれて、私たちも
やり甲斐と誇りを感じていますと述べていた。
蔵人にこんな台詞を言わせるなんて、
つくづくたいしたお人だなあ。
つるつる頭の風貌を思い出したのだった。

冬はじめ醪はじける音色かな。










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