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た幸さんで一献。

御開帳真っただ中の善光寺が、連日、
参拝客で賑わっている。
善光寺まで歩いて3分、毎日お参りに
出かけている。
日脚も伸びて、界隈の緑も冴えて、
穏やかな、好い季節となったのだった。
善光寺の裏手に、老舗の鰻屋がある。
夕方、境内を歩いていると、
風向きによって、香ばしいたれの匂いが漂ってきて、
そそられるのだった。
以前、両親と一緒に、
ビールを飲みながらうな重を食べた帰り道、
すぐに腹ぐあいがぎゅるぎゅるとおかしくなって、
あせったことがあった。
たまたまその日の体調と、鰻の相性が
合わなかったのか、以来足が遠のいている。
もともと胃腸が弱くて、油気のある食べ物に
調子をくずすときがある。
そうは言っても、鰻屋、蕎麦屋、寿司屋の一献は、
日本人に生まれた幸せだから、たまには鰻で
一杯やりたい。上等な肴で酌むのだから、
酒も旨い銘柄が好い。
久しく鰻も拝んでいないことだし。
週末、飲み友だちに声をかけて、
須坂のた幸へおじゃました。
須坂の古い町なみが好きで、ときどき足を運んでいる。
町の中を歩いていると、寂れた気配が漂っているものの、
行く先々に、蔵や神社に寺のある風景は気持ちが和む。
ちいさいけれど、好い展示を開いてくれる
版画美術館があり、
桜の名所の臥竜公園が在る。
この春は、どこもかしこも一斉に桜が満開になり、
臥竜公園の桜に足が届かなかったのは、
残念なことだった。
長野電鉄の、のんびりとした特急に揺られて、
須坂駅で降りて、
ひと気のない通りを歩いていく。
須坂の町は、駅から放射線状に同じような道が伸びて、
なんど歩いても、こっちで正しいのか不安になる。
案の定、この日もすこし遠回りをしながら、
おごそかな墨坂神社の前をすぎて、たどり着いた。
久しぶりのご主人夫婦に迎えられ、白木のカウンターに
落ちつくと、清楚な佇まいに、気分がさっぱりとする。
エビスで乾杯をして、卵で鰻を巻いたう巻きと、
あっさりと柔らかい白焼きと、旨いたれの効いたかば焼きで、
勝駒、林、而今、銘酒の杯をかさねれば、
ふだんより、すこし贅沢な酔いのひとときが嬉しい。
同行してくれた友だちも喜んでくれたから、
連れてきた甲斐もあったことだった。
長野から須坂まで20分ほど。短い電車の旅をして、
また訪ねてきたいのだった。

薄暮なる須坂の町の鰻かな。









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