友来たる。
高校を卒業してから、大学生活の4年間を
横浜で過ごしていた。母方の叔母夫婦が南区に
住んでいて、そこのひと部屋を間借りして、
鶴見区に在る大学まで通っていた。
毎朝、京浜急行の満員電車に揺られるだけで、
肩こり頭痛に悩まされ、都会は馴染まないと
じきにわかったことだった。
商科系の学校で、経済やら商業やら簿記やらを
学んでいたのに、教養らしい教養は、
な~んにも身に付かず、だらだらと中途半端に、
やる気のない毎日を過ごしていたのだった。
御開帳中の善光寺へ参拝がてら、大学時代の友だちが
訪ねてきてくれた。
在学中、いちばん親しくしていた人だった。
石川県の、海の町で生まれ育ち、現在は金沢で
暮らしている。前回、金沢へ行って以来、
4年ぶりの再会だった。銘菓と銘酒と漆器の盃を
土産にもらい、早速、茶の間でエビスで乾杯をした。
ひと息ついたら、混雑している門前界隈を避けて、
静かな通りの、馴染みの蕎麦屋に落ちついて、
あらためての杯を交わす。
酌みあいながら、あの頃の友だちの話になれば、
山梨の土産物屋の友だちは元気にしているのか。
夏休みに遊びに行ったとき、
ずいぶんもてなしてくれたっけ。
卒業してから疎遠になってしまい、屋号も住所も
覚えていない。
穏やかな性格だった地元の友だちは、
のちに自死したという。いったい何があったのか、
わからずじまいのままだった。
いつのまにか距離が遠のいたり、すでに逝って
しまったり、会いたくても会えないかたがいる。
思い出すと、懐かしくて切ない。
今でもこうして縁があり、旧交を温め合えるのは、
つくづくありがたいことだった。
蕎麦屋から、馴染みの飲み屋へ河岸を変え、
再会の一日を楽しく酔い酔いに、
酔っ払ったのだった。
転職をしたり離婚をしたり、お互いにでこぼこの道を
歩いてきた。笑いながら、これまでの暮らしぶりを
語り合えるのも、
この歳になってゆえのことだった。
翌朝、早々に帰る友だちを見送った。
夏の金沢。旨い酒と肴の再会を期したのだった。
青あらし会いたいときは会いに行く。
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