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信州の酒を。

地元のテレビ局で、長野の酒の特集が放映された。
サッカー選手だった中田英寿と、歌手のアイリス・ウーが、
お蔵さんを訪ね歩く番組だった。
中田英寿は日本酒に魅せられてから、全国のお蔵さんを
巡り歩いたり、普及活動に尽力をしている。
アイリス・ウーは、マレーシア出身で、日本で
活動するようになってから、日本酒が好きになった。
インスタグラムを覗いたら、
今日はめちゃくちゃ寒いので、一升瓶でも
飲みましょうかと、かわいい顔で頼もしいことを
言っている。番組では、水尾を醸す飯山の田中さんと、
亀齢を醸す上田の岡崎さんと、真澄を醸す諏訪の
宮坂さんが出ておられた。お歳暮で頂いた水尾の
特別純米を酌みながら拝見した。
宮坂さんは大手のお蔵さんで、長野の銘柄が世に
知られていないときから、県外でも名を
馳せていた。田中さんの水尾は、発売されてから
三十年余りの月日が経ち、すっかり長野を代表する
銘柄となった。長野の北の地域では、比較的
手に入りやすいのがありがたいことだった。
岡崎さんの亀齢は、娘さんが杜氏に就いた頃は、
どうということのない味だった。
ところがその後の酒質の向上が目覚ましく、
長野でもっとも入手困難な銘柄になってしまった。
長野県、ほんとに旨い酒を造るお蔵さんが増えて、
ありがたいことだった。
日本酒の味を覚えて三十五年。
飲み始めた当時の野暮な味を知っているから、
余計に感慨深いのだった。
そのさなか、いまだにいやはやなんともという味を
造っているお蔵さんもある。
長野市街地から、すこし離れた場所に在る
お蔵さんだった。
酒好きだった父は、長らく県庁の職員をしていた。
県庁の食堂で職員同士の宴があると、
そのお蔵さんの酒が出たという。
ふだん安酒ばかり飲んでいる父が、食堂の酒だけは
飲みたくないというほど、いやはやなんともだった。
それから二十年あまり経った頃、おなじく県庁に
勤める若いかたと、酌み交わす機会があった。
県職員になったときに上司に最初に言われたのは、
食堂の日本酒だけは飲むなだったといい、
父の頃の酒の評判が、脈々と言い伝えられていて、
感心をしてしまった。
縁あって知り合った杜氏さんがいる。
長らく長野の北の町のお蔵さんで、まことに
旨い酒を醸していたかただった。ところが、
お蔵の社長ともめ事があり退職してしまい、
よりによって、いやはやなんとものお蔵さんに就職
したのだった。造りではなく瓶詰め作業を
やらされていると聞き、
いい腕があるのにもったいないことと気になっていた。
ところが先日、馴染みの飲み屋のご主人から、
このたび杜氏になって造りに携わっているとの
知らせを聞いて、それは好かったと胸を
なでおろした。
新酒が出たら利いてみたいことと、今からの
楽しみになっている。

酒米の蒸気満ちるや冬の朝。


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