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キリンビール仙台工場へ。

毎晩ビールを飲んでいる。
先だって宮城へ出かけた折りに、キリンビール仙台工場へ
行く機会に恵まれた。
主力商品の一番搾りについて、
工場を見学しながら説明を受けたのだった。
入口のロビーには、十一年前の大震災で、工場も甚大な
被害を受けた様子が展示されていた。
津波が来た際は、社員や近隣の住民は工場の屋上に
上がって、難を逃れたという。
並び立つ大きなタンクの前には、WELCOMEと、見学客を
歓迎する看板が立っていて和む。
子供の頃、ビールと言えばキリンだった。
父のお使いで近所の酒屋に行くと、氷の入った水槽に、
キリンラガーの大瓶がずらっと並んでいた。
キリンラガーがビール全体の売り上げの六割以上を占め、
当時の独占禁止法に引っかかりそうな勢いだったという。
そんな長年のキリンの牙城をくずしたのが、アサヒの
スーパードライだった。二十五歳くらいのときで、
売り出した途端に人気に火がついたのだった。
初めて飲んだときに、薄い味なのに当たりがきついなと
感じた覚えがある。じきにスーパードライばかりを
どこの飲み屋でも見かけるようになった。
売れすぎて品不足になり、アサヒの社員は
スーパードライを飲んではいけないと、お触れが
出たほどだった。
スーパドライの勢いに、キリンもサッポロもサントリーも
似たようなドライビールや、しばらくしてから、
麦100%のビールを出して来たり、
百花繚乱のありさまだった。
そんな激しい競争を経て、スーパドライ同様に、
不動の人気を得たのが一番搾りだった。
工場内を眺めながら造りの過程を教えていただいて、
最後に普通の一番搾りと、
上等なホップを使った一番搾りと、黒ビールの
一番搾りを試飲させていただいた。
一番搾りも味を覚えて三十年あまり。
最近は思うところあって、もっぱらサッポロの
エビスだけど、ひと頃、
一番搾りの好きな女性と付き合っていたときがあり、
つられてずっと飲んでいた。
身のまわりの酒豪のかたがたで、スーパードライを
好んでいるかたがひとりもいない。
底なしの飲兵衛には、味が軽すぎて物足りないかと
うかがえたのだった。

厚着して泡を注ぐもまた好くて。










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