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お蔵さんとのひとときを。

馴染みの飲み屋がいくつかあって、ときどき
日本酒の会が催される。毎回、県内外の
お蔵さんを招いて、それぞれの銘柄の味をいくつか
利かせてもらう。
コロナ禍になってから、会の自粛がつづいた中、
久しぶりに、しまんりょ小路の料理屋、野響で
開かれたのだった。
この日は、長野県飯山市で北光正宗を醸す、角口酒造さんを
招いての会だった。
創業は明治2年。杜氏を務める跡取り息子の村松裕也さんで
6代目となる。
長野県のいちばん北に在るお蔵さんで、銘柄の由来は北の夜空に
輝く北斗七星から頂いた。
大学を卒業して2年間会社員をしていたときがある。
当時、世話になった先輩が、このお蔵さんの身内のかただった。
短い間だったけど、好く世話を焼いてくれたかただった。
まだ日本酒に興味がなかったときで、一緒に飲んだことがないのが
悔やまれる。
北光正宗を飲むと、ときどきお顔を思い出すのだった。
結婚をした際に、連れ合いのお母さんの実家が角口酒造の近所で、
訪ねた折りはいつも北光正宗の普通酒を土産に持たせてくれた。
その当時は、日本酒と言えば、越乃寒梅や八海山や久保田など、
新潟の端麗辛口が世間を席巻していたときだった。
長野の酒がまるで見向きもされない中、初めて飲んだその味に、
なかなか旨いではないかと思ったのだった。
その頃長野市に、ちいさな北のお蔵さんと付き合っている
酒屋がどこにもなく、連れ合いと離婚をしてからは、
とんと口にする機会がなくなった。北光正宗という名前もすっかり
頭から消えていたときに、酒屋を営む友だちが取引を始めた。
うちは昔から辛口の酒を造っていますという。飯山地方は冬場、
雪の量が3メートルを越える豪雪地帯だった。
雪が積もれば農家のじいさん連中は、酒を飲むしかやることが
ない。
野沢菜をつまみにだらだらと飲んでいられる辛口の味という。
糖度の低い、澄んだ切れのいい味わいは、まさに北斗七星のよう。
ほれぼれと酔ったことだった。
若いときは純米吟醸みたいな高い酒を飲んで、歳をとったら、
安い普通酒にいくのが粋な酒飲みですと、以前村松さんに
言われたことがある。おっしゃるとおりです。
酸いも甘いも嚙み分けて、肩肘張らずに過ごす身には、
肩肘張らない安い酒が合う。
そんな歳に成っていることだった。

星涼し酌めども飽きぬ酒を酌み。

















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