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秋を迎えて。

暑さ寒さも彼岸までというものの、今年は9月の
彼岸を過ぎても夏の名残が続いていた。
外へ出れば、うんざりとする酷暑に見舞われ、
仕事中は一日冷房の中にいるから、気温の差に
体がついていけなかった。10月になってようやく
秋らしい気配が漂い始めても、体のだるさが残った
ままなのだった。酒屋を営む友だちは、あまりの暑さで
酎ハイやビールはよく売れたものの、日本酒の売れ行きが
芳しくなかったという。確かに、暑いときに日本酒の
糖分は喉に残るもんなあ。こちらも連日の晩酌では、
麦焼酎のロックばかり杯を重ねていた。
仕事場の壁沿いにヘクソカズラの葉と、零余子の葉が
茂っている。この夏は雨がぜんぜん降らず、
植物にとってもつらい夏のはずだった。
ところがどういうわけだか、ヘクソカズラと零余子は
例年にない勢いでぐいぐいと葉を茂らせて伸びていった。
ヘクソカズラの花がいつもよりもたくさん咲いて、
雨どいに絡まりながら、屋根に届きそうな高さまで
伸びてしまった。地面をはって、あれよあれよという間に
家屋を囲むように両脇まで伸びている。
零余子の実も、いつもは食べる気も
起きないような小さな実が、申しわけ程度にできるほどなのに、
びっしりとりっぱな実をつけてくれた。
ほったらかしで、ろくに水やりもしなかったのに、
生命力のたくましさに目を丸くしている。毎年葉が枯れ始める
頃に選定していたのに、
手が届かない高さまで伸びた蔓を眺めながら、どうしたものかと
途方に暮れている。
平日の午後、仕事がひまだったので、零余子を取った。
茂った葉をかき分けて、手ごろな大きさの実を拾っていったら、
お椀がいっぱいになった。
仕事を終えた夕方、ビールを飲みながら茹でて、木綿豆腐の
白和えにした。
翌晩は辛子とマヨネーズで和えた。晩酌のちょっとした箸休めに
素朴な歯触りが好いのだった。
料理好きだった母がまだ元気だったころ、零余子の時期になると、
甘じょっぱい零余子の胡麻和えを作ってくれた。それをつまみに
父と酌み交わしたっけ。懐かしく思い出したことだった。

葉をめくり椀いっぱいの零余子かな。


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