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会えるときに。

早朝、友だちからメールが来た。
朝刊に、覚えのある人の訃報が載っているとの知らせだった。
お悔み欄を覗いてみたら、中学校の同級生の
女性の名前が有った。
卒業してから、すっかり会うことのなかった人だった。
おとなしくて穏やかな人柄の女の子だったなあ。
当時の姿を思い出し、なんともやるせない気持ちに
なった。
中学、高校、大学時代の同級生や同窓生で、
亡くなったかたが幾人かいる。二十八歳のときに
見送った友だちのことは、今でもよく覚えている。
東北電力に就職して、ヘリコプターの操縦士をしていた。
ところが頭に悪性の腫瘍が見つかって、仙台の病院で
手術をして、地元の長野の病院へ転院してきた。
おなじく同級生の女性がそこで看護師をしていて、
転院してきたことを知らせてくれたのだった。
退院して自宅療養になってから、たびたびお見舞いに
足を運んだ。夏の戸隠にドライブに行ったり、
お盆休みにほかの同級生も誘っておじゃまして、
お母さんの手料理を御馳走になり、庭先でみんなで
花火をしたっけ。
それからじきに、再びの入院となり、いちど退院したものの、
病気の進み具合が激しく、最後の入院をして亡くなった。
文筆家だったお母さんが、何年かして闘病の様子を本に
書き上げた。亡くなって三十三年。今でも読むたびに
胸が痛くなる。
10月の下旬、東京に暮らす中学校の同級生が帰省してきた。
都合のつく同級生が集まって、ひさしぶりの
小さな同級会と相成った。
みんな仕事に子育てに家庭のことで、それ相応の苦労を
されてきた。この日会えなかった同級生も交えて、
そんな話に耳を傾けてみたいものだった。会えるときに
会わないと。別れはいつやって来るかわからないと、
この歳になると、いやでも痛感するのだった。
東京へ戻る当日、近所のイタリアン、こまつ屋でランチをした。
前菜とパスタをつまみにワインを酌み交わし、
また会おうと約束をして別れた。
角を曲がる姿を見送っていたら、振り返り、深々と頭を
さげてくれた。
友だちなんだから、そんな丁寧なお辞儀はするなよ。
ちょっと鼻の奥がつんとした。

逝く秋や朝に訃報の知らせあり。





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