見出し画像

No.15 和更紗〜江戸更紗〜

naomariaです。

『更紗マニアへの道』和更紗編。いよいよ最終回!

そしてこのシリーズも今回で一旦終了となります。
今回はラストを記念し、フリー(無料)でお届けします。

江戸更紗の発祥は江戸時代中期から末期。西の鍋島からジワジワと伝わってきたようなイメージ。鍋島に更紗が伝わってから随分と時を経ています。

江戸とつく有名な染め物に江戸小紋があります。どちらかと言うとそちらの方が有名な印象。江戸小紋は武士の裃(かみしも)に使われたのが発祥。いわば武士の礼装に欠かせない大切な染め物だったんですね。これが庶民にも伝わり愛用されるようになりました。江戸小紋は幕府の奢侈禁止令(しゃしきんしれい)による賜。制限があればあるほど、知恵を絞り出し工夫する。すると見たこともない斬新な世界が誕生する。どんなことも整いすぎているよりも「少し足りない」と思うくらいが豊かな創造性を育めそうですね。

話を戻して江戸更紗ですが、冒頭にもあるとおり江戸中期~末期に誕生したと言われています。比較的新しい更紗です。どこの更紗とも変わらず、まずはインド更紗の模倣から始まります。模倣となれば必然的に異国情緒が溢れる。すると、見る者みな心を揺り動かされ一瞬で虜になっていく。独自の更紗へと発展していく他更紗と同じ構図です。

江戸更紗誕生

江戸更紗は生地だけでなく、いろいろなものに描かれ発展しました。書更紗、形更紗、紙更紗。どことも変わらず江戸更紗の技術は口伝でのみ伝えられる秘法。屋根裏部屋など人の目に触れられないような場所で作られていました。

天保年間、越中出身の正吉という者が、大阪へ修行に出る。その後江戸へと移り更紗染を開業(安政年間)。あっという間に人気に火が付き、名声を高めた。これが江戸更紗の始まりとされています。

江戸更紗の特徴

江戸は大火がよく起こっていたそうで、残っている資料はほぼないと言われています。100回ほどの大火のたびに江戸は灰の街と化すわけですから、どれだけ貴重なものが失われたか想像も容易ですね。江戸大火についてとても分かりやすい説明がこちら↓にありますので、ご興味のある方はこちらもご参考ください。

江戸更紗は全て摺込染(すりこみぞめ)でスタートします。初めて日本に更紗が伝来してから随分の時が経っており、その間に日本独自の発展を遂げているわけですから、手描きを通り越して摺込染へとステップアップしていてもおかしくないお話。他地域では、手描き→摺込染という流れも、ここ江戸ではその逆となっている。最先端を取り入れ、根源に立ち戻っていく。ルネサンス的な発想(笑)。とは言っても、やはりメインは摺込染です。

特に「これだ!」という特徴を見出すのが難しいとされている江戸更紗。ただ、全体的に渋めのお色が多いようです。神田川を初めとする江戸の水は硬水。硬水と言うことはミネラル分が多く含まれているということ。この豊富なミネラルが染めの色へも影響を与える。それは工程中に起こる化学反応が要因とされる。そのため全体的に渋めの色合いに仕上がり、それがかえって「わびさび」溢れる風合いたっぷりな江戸更紗となった。

画像1

写真「和更紗 江戸デザイン帳」

ミネラルによる天然染料への影響については調査していないので、知識を深めたい方はご自身でお調べになってください<m(__)m>

資料の乏しい江戸更紗

他地域と比べて江戸更紗がそれほど有名ではないのは、大火による消失が理由ではなく、思った以上の発展がなかったことが理由かも知れませんね(江戸小紋の威力はとてつもなくすごい)。他地域の更紗は、幕府に献上するためのものや藩主の嗜好によるものが多かったりしますから、自然と受け入れられることを始め、地域産業として大いに発展したんでしょうが、場所が幕府のお膝元となると事情が異なるのかも、、、ですね。いろんな意味で監視の目が強そうですもの。あっという間に統制も敷かれるでしょうし(これはあくまで私の見解ですが、、、)。

明治になっても発展した江戸更紗

外国の文化が堂々と国内へ取り入れられるようになった明治時代。元号が変わったからといって、なにもかもがすぐに大きく変化するわけでもありません。江戸更紗も同じくで、明治25年に東京更紗業組合、仕入形付業組合が神田久松町に創立されている(明治35年第2回東京市統計年表)。ちなみに現在はわずか数軒ですが、30色以上からなる鮮やかな更紗が染められています。

あとがき

いかがでしたでしょうか。オリジナルインド更紗から始まり、ペルシャ更紗ジャワ更紗シャム更紗ヨーロッパ更紗、そして和更紗。和更紗は、鍋島長崎京・堺そして今回の江戸と続きました。

どこの地域をとっても、初めは更紗への羨望がきっかけとなっている。これまで見たことのない美しく繊細な異国情緒溢れる更紗。魅了しかしないこの更紗をなんとしてでも手にしたい!という欲望から模倣が始まり独自の更紗へと発展していく。模倣だけで終わらないからこそ、今もこうして伝わっているのだろうし、今もなお世界中で夢中になっている更紗ファンが大勢溢れているのだと思う。ワールドワイドで起こった大流行「更紗」。

単に人気、ということで片付けるのではなく、国や文化、人種が変わったとしても人間が追い求めるものは結局ボーダーレスで一緒なんだと気づくことができる。更紗の持つ素朴感。飾らない自然なままの姿が美しいのだ、と潜在的に感じているんじゃなかろうか。

更紗の虜となっている私自身、更紗の向こうに追い求めるものがある。それは無意識だったけれど、何故こんなにも魅了されるのか?と自分なりに分析し、こうして『更紗マニアへの道』を執筆することでようやく答えが見えてきた気がする。それは「人としてあるがままに生きる」という姿。インド更紗の誕生を振り返ると、その状況に何故か安堵する自分がいる。このインドの風を大いに感じたいから更紗に夢中になっているのだ、と。今の私はそう感じている。

(完)


『更紗マニアへの道』記事一覧


naomaria



naomariaの活動に少しでもご興味・ご賛同をいただけましたらサポートをよろしくお願いします。いただいたサポートは、感謝の念を持って大切に使わせていただきます^ ^