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色んな家庭の事情を乗せて、教室は回る

こんにちは!あともう少しで2023年も終わりを迎えます。11月や12月はオランダにとってお祭り続きの月です。11月からはシンタクラースのお迎えに賑わい、12月にクリスマスパーティーが行われる学校も少なくありません。

私が勤務している小学校は他の公立の小学校と少し異なり、国際的なカリキュラムを採用していることもあって、他の小学校と同様に、そして時に一般的な学校よりも国際色が豊かです。

シンタクラースを祝わない子どもたち

オランダにはシンタクラースと呼ばれるオランダとベルギー版のサンタクロース的な存在がいます。私が今通っているオランダ語の先生によると、かつてのオランダにはシンタクラースか存在せず、サンタクロースという存在はなかったとか。

それが、アメリカからその文化が輸入されたおかげで、オランダでもすっかりサンタクロースとセットでクリスマスをお祝いするようになったのだと言っていました。

家庭にもよりますが、オランダ文化をそのまま継承している家庭にとっては、このシンタクラースこそが冬の風物詩。ということで、そういった家庭においてはシンタクラースからプレゼントをもらいます。クリスマスの日にもプレゼントをもらう家庭もありますが、シンタクラースほどのプレゼントは貰えないと言っている子どもたちもちらほら。

シンタクラースについて興味がある方は、こちらのVoicyをどうぞ!

一方で、12/5(シンタクラースがプレゼントをくれる日)を過ぎた教室で、「シンタクラースのお祝いはした?」と聞くと、お祝いもしないし、プレゼントをもらっていないという子どもたちも、5分の1くらいいることがわかりました。

自分たちの文化には馴染まないという判断

私のパートナーの教員であるMarian(仮名)は、「何故、あなたの家ではシンタラースを祝わないの?」と、ストレートに子どもたちに質問します。

それはつまり「祝わないこともあるよね」という理解の前提があるからなのですが、生徒からの回答の中には、
「私たち(家族)の生まれた国にはそもそもない文化だから」とか、
「宗教的にそれを祝うことはないから」
といったような回答があります。

それに対してMarianは
「ふむふむ、そうか、なるほどね」
「へぇ〜、だから祝うことはないんだね」

という風に対応しています。

子どもたちの中には自分たち(家族)が祝わないけれど、祝う家庭が羨ましいという子どももいますが、Marianは「そうか〜、そんな風に感じているんだね」と寄り添うだけで、祝うことが正しいとか、祝わないことは間違っているというような判断は下しません。どの家庭にもそれぞれの事情はあるのです。

何も祝うことがない生徒

これは私の学校の生徒に限ったことではなく、オランダという国で生まれ育っていない両親の元に育っている子どもたちの中には、オランダの文化をまったく踏襲しないという家庭の子もいます。

私がアメリカに留学していた時も、ルームメイトの実家近くには"アーメッシュ"と呼ばれる伝統的な暮らしを守って生きている人たちがいました。彼らを見ていると、何だか同じ世界に生きているとは思えないような暮らしぶりでした。そのようにして「自分たちらしい暮らし」を踏襲して生きることを譲らない人たちがいることも事実です。

そういった子どもたちの場合、オランダの文化にまつわるお祝い事には一切参加しないこともあれば、誕生日さえ祝わないという家庭もあります。そんな家庭の方針について、教職員の中で意見が割れることはありますが、基本的には家庭の意向を優先します。ただ、例えばクリスマスパーティーを開催する時に、自分の子どもだけ別メニューを用意して欲しいとか、学校の現状では対応しきれない要求に関しては"NO"と言うようです。

ある生徒に関して、1人の教員は、
「オランダでは学校選択制だから、中国の新年や、インドのお祭りなど、色んなお祝いをするこの学校は特に合わないのではないかという話し合いもあったけれど、それでもこの学校で良いというのが家庭の意向だったのよ」
と言っていました。

要するに学校の方針には口出ししないという方向で落ち着いているということなのでしょう。

望んでも叶わないことだってある、それが人生

様々な人種や宗教、バックグラウンドの子どもたちが生活するこの国の中で、学校という場所はいわば子どもたちにとって「ミニ社会」のような存在だと言えるかもしれません。

学校はシンタクラースムード一色であっても、実際には家でそれを一切祝わない子どもたちもいる訳です。母の日のプレゼントを作ろうにも、母親がいない家庭もあれば、父の日のギフトを作ったって、父親不在の家庭もあります。そう思えば、ママと呼べる人が2人いる家庭もあれば、その逆も存在します。

「母の日のアクティビティなんて、ママがいない家庭にとっては苦痛」とか、
「父の日のプレゼントを作ってくれたって、うちはママ2人ですけど」などという声は(私が勤務する学校では)今のところ聞こえてきません。

それでも今日も学校はいつも通りあるし、授業ではサンタクロースの歌を歌います。自分の家庭では一切関与しないものも社会にはあって、それが楽しかろうが悲しかろうが、今日も日常は進んでいく、それが人生。

そういった意味で、本当に様々な子どもたちが一緒に生活している教室において「みんな一緒じゃないとダメ」という価値観は生まれにくく、むしろ「みんな違うのが当たり前で、それで良いんだよね」という価値観を強めることに重きが置かれるのは当然かもしれません。

「割り切れないもの」と共に生きる子どもたち

という訳で、本当に様々なバックグラウンドを持った子どもたちが共に生きている私の学校の生徒たちは、宗教などに関して言えば、早ければ8歳くらいから「あらゆるものは簡単に割り切れないもの」だと理解しているようにも見えます。

がっつりクリスマスを祝う家庭の子どもがクラスメイトに「サンタクロースには何をもらうの?」と聞けば、「うちはクリスマスは祝わないから」と言われる子どもの心で、どんな価値観が形成されるのだろうといつも思います。

「先生は毎日クリスマスの曲を流しているのに?」
「学校のデコレーションはめちゃくちゃクリスマスモードなのに?」
「街にはあんなにクリスマスツリーがたくさんあるのに?」
「ライトアップも、イルミネーションもあんなにクリスマス仕様なのに?」

色んな疑問が湧いてきたとしても、それは正しいとか正しくないとかではないのだと飲み込んでいく作業を何度も経験するのでしょう。これが、文化が混ざり合う社会における自由の相互承認であり、難しさでもあるのだと思います。

「日本ではクリスマスを祝うの?」そう聞いてきた生徒に、
「うん、祝うところもあるよ。でも、日本では年越しがとても重要でね。年を越す時、そして年を越してからも特別な料理を食べたり、特別なことをするんだよ」

「へぇ〜!新しい年になってからも色んなことをするの?何をするの?」

伝統や文化が異なる国が何を大切にしているのかを知ること。
平和の始まりとは意外とシンプルで「知ること」からなんじゃないかと思うのです。

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