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無礼な日本人による学校視察と消費マインド

前回「3月の視察終わりました〜!」という記事を書いた直後に何ですが…今回の視察を通して、一部のオランダの先生たちの中に「日本人って無礼よね…」という(私としては)ショッキングな感覚があったというのを知ったので、それについて書きたいと思います。

同じ日本人とはいえ、他人がしたことです。でも、視察先の先生たちもどこかでステレオタイプ的に「日本人って…」と思ってしまっていたら、それはとても残念なことです。ワールドカップで会場を掃除するのも日本人であるけれど、別の場所で残念な行動をしてしまうのも日本人なのだということを感じた瞬間でした。

多忙なオランダの小学校 VS 学びたい日本人

オランダの教育は深刻な教員不足に陥っています。それは、教員の業務量が増えたことによって燃え尽きてしまう教員が増えたことも原因の一つとして挙げられますが、オランダは世界有数の「ワークライフバランス」が整った国で、教職員(校長も含む)のほとんどがパートタイムで働いています。よって、フルタイムで月曜日〜金曜日まで働く教職員が少ないことにより、より多くの人材確保が必要になるのですが、教員の成り手がそこまで多くないという問題があるのです。

一説によると、今パートタイマーの教職員がフルタイムに戻れば教員不足は解消されるとのことですが「自分の幸福度が高くあってこそちゃんと仕事と向き合える」というスタンスのオランダで働く人々のマインドセットの中には「無理をしてまで働かない」という考え方があるのも事実です。特に、現地の小学校で働いているほどんとの人は「オランダ語が話せて、オランダの教職課程を修了した人」となるので、プロテスタントの影響も受けて、教職の世界では働き方に対する考え方は均一とも言えるそうです。

そんな教員不足を抱える(特に)小学校への学校視察がこれまであったと語ってくれたのは、イエナプランの小学校の校長先生でした。実はこの先生は「うちの学校に来てもらっても良いですよ」とは言ってくれたものの、メールのやりとりが明らかに「塩対応」でした。笑

当初はそのやり取りに「無理して受け入れてくれなくても良いんだよ…」と思っていたのですが。笑 どうやら、そのように対応するには裏話があったのです。

知識のない「ただの訪問」

その裏話に入る前に、別の学校でも一度言われたことがあるのは、

「日本人の人たちを受け入れたことがあるけれど、オランダの教育の基礎的なところの質問が多く、具体的な議論ができなかった。今ではインターネットや本から情報が収集できる時代なのに。実際に学校へ足を運んでまで得たい知識が見えにくいと感じた。もっと突っ込んだ議論がしたいのに、非常に表面的なものだった。」

というものでした。

これはある意味「リスペクトが足りない」と言われているのと同じだと感じました。わざわざ時間を割いても「こんなもんか…」と思われるような訪問だったということかもしれません。こういった真っ直ぐな意見を先生たちが聞かせてくれるまでには関係作りが重要になってくるのですが「そんな本音があったんだな」と気付かされました。

私でもまだまだ勉強中ですが、基本的にオランダの先生が学校制度の仕組みの中でおっしゃるような教育法については最低限調べて視察に臨むというのがせめてもの礼儀だと学んできました。

「それって何ですか?」を連発していては、深い議論にならないのはごもっともです。

この国の教育についてまったく知識を持たず、多忙を極める学校を訪れることは無礼に値する…努めてはきたけれど、かつて私もそんなことをしていなかっただろうか…と不安になりました。

英語が話せる人が1人もいない訪問

さらに、別の校長先生はかつて視察にやってきた団体について言及しました。

「オランダの教育を知りたいという気持ちはよくわかります。でも、せめて誰か1人でも英語ができてくれないと話はできません。視察先となる私たちの学校は語学学校ではないのですから。苦笑 きっとオランダの教育で知りたいこと、わかりたいことがあるのでしょうね。でも、言語として話が通じないと、こちらも"わかってもらった"という実感が持てないのです」

あぁ、ごめんなさい…そんな人たちが「オランダの学校が見たい!」とやって来ては去り、先生たちの中にある「残念スイッチ」を押してきたのですね…と。

「"すごいですね"と簡単な英語で言っていましたが、時間を割いて得たかったのは「すごい」という言葉ではありませんでした」

いや、ごもっともすぎる。

「言語ができなくてもチャレンジ!」「知りたいんです!」
という気合い自体は否定しません。でも、本当にあなたの(敢えて言うなら)その向こう見ずな行動を相手は受け入れているのでしょうか?情熱があれば相手は受け入れてくれるはずだ!と勘違いしていないでしょうか?やっぱり、そこには相手へのリスペクトがなくてはいけないと思うのです。

とはいえ、私もまだまだオランダ語で教育の議論ができるほどではありません。ただ、今回初めて、訪れた学校の校長先生に「あなたもオランダ語を頑張っているのね。オランダ語で話をしましょう!」と、簡単なオランダ語で学校のことを説明してくれた方がいました。私も彼女のオランダ語が理解でき(!)、喜びが増しました(さすが先生、自己肯定感上げてくれる…)。やっぱり、オランダ語もっとやるぞ!と思えました。

ただ写真を撮って「記録」だけが欲しい人たち

さて、校長先生の裏話に戻ります。

「イエナプランの学校を訪れたい。ということでこれまで何度か視察を受けいれましたが、写真をパパパーっと撮って、「ありがとうございました」と帰って行った日本人の人たちがこれまで何組かいました。あれは何だったのかな。何のために来られたのかさっぱりわからなくて」

あぁ…すみません(2回目)…そんな人たちがいたんですね…ここまでくると何とお詫びをして良いか…。きっと、その人たちは「オランダでイエナプランの小学校に行って来ました」という事実を作りたくて、オランダのイエナプラン小学校を訪問し、無礼にもその機会をただ消費したのでしょう。

こういった「教育現場を消費する行為」に腹立たしささえ感じます。日本に向けて現地レポートをするにあたって、自分たちのことで必死で、相手へのリスペクトがまるでないのです。自分たちのしたいことを叶えるためなら、相手をも消費してしまう…そういった厚かましさを持っている日本人(ちょっと主語が大きすぎるかもしれませんが)はここだけでなく、色んな場面で多いような気がしています。

「受け入れられません」のその先に

私は視察ツアーを組んでいますが、「受け入れられません」と断る学校もあれば、比較的気軽に受け入れてくれる学校もあります。現地校は人手不足もあって忙しいため、どうしても受け入れて欲しいと思うような魅力的な学校に対しては、どうにか校長先生たちと良い関係を作れないかといつも思案しています。こちらにとっては「たった1回の視察」であっても、学校によっては年に何度か(オランダ国内や他の国からも)視察を受け入れている場合もあるので、受け入れを渋る学校に対しては、こちらが訪問する意図について特に理解してもらう必要があります。

「来てくれても良いですよ」と好意的に示してくれる学校の存在はある意味、奇跡と言っても過言ではありません。だからこそ「受け入れた良かった」と思ってもらえるよう、その学校や校長先生が「価値がある」と判断できるものを提供することが求められる場合があるのも事実です。

だからこそ、視察を受け入れてくれる現地の学校にはリスペクトが必要で、単に視察先を消費する行為というのは避けなければいけないと思うのです。ただ、冒頭にも書いた通り、そういった視点でしか教育現場を見ることが出来ず「ちょっと学校を見せてください」程度で「学校」という「誰でも受け入れる立場」を利用しようとする人たちがいることにとても残念な気持ちになりました。消費行動が過ぎます。

そして、これまで断られてきた先の学校の校長先生の中にも、「日本からの視察」に対してそのようなイメージを持った人がひょっとしたらいたのではないか…そう思うと心が痛みました(そんなことはなかったと思いたいですが…)。

教育を、学校を思うのであれば、こちら側の一方的な欲求を満たすためではなく、相手の意向も尊重するように視察を考える。まだまだ未熟な私ですが、少なくともオランダの学校で働く先生たちに対して彼らのプロフェッションに土足で入らないだけの意識を持って視察をお願いしなければいけない。

そんな風に話す私に「あなたがしていることはとても意味があることですよ」と微笑んでくれた校長先生。

そんな校長先生が話してくれた本音に耳を傾けながら、私自身もオランダの教育を消費する立場にならないよう、ちゃんと先生たちの心に耳を傾けなければいけないと背筋を伸ばしました。

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