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英検指導で見えてくる言語能力以前に足りないもの

こんにちは。
しばらくnoteの記事を書かない時間が流れていました...

というのも、私の本業?いや、前職(高等学校英語教諭)からの流れで「英語指導」の時間が増え、教材研究やら実際に「教える」という時間が長くなり、記事を書くことから遠のいてしまっていました...

今回はオンラインや対面指導を通して行った「英検指導」の中で改めて見えてきた「日本の教育に不足しているもの」について書きたいと思います。

「英検受験」に意味はあるのか

さて、時に英語に関する資格試験を「意味がないもの」とバッサリ切り捨てる人たちがいます。
英検に限らず、TOEICやTOEFL、IELTS、そしてGTECなどもそうかもしれません。

私自身、資格試験そのものが「意味がない」とは思いません。
しかし、当然ですが、「受験者当人の意識」は大切です。
つまり「受けさせられる英検」は意味がない。と、強く思います。

オンラインや対面で英検指導をする中、明らかに受験者自身にモチベーションがない場合があります。
「何故、英検を受けようと思ったの?」というのは、指導の最初に必ずする質問ですが、
「受験に必要だと言われたから」
「将来のために受けといた方が良いって言われたから」

と、当事者意識を持たない受験者は少なくありません。

つまり、受験者本人が「英語学習」の価値や意味を自分の中に落とし込めていない状態の中で英検が現れ、「まぁ、資格はあった方が良いのか」という流れで受験する。という状態です。

そういった状態での英検受験は、正直、意味がないと思います。
そもそも「受験すること」を受験者自身に決めさせ、その重みを感じて欲しいのです。
何故なら、昨今英検の試験内容は子どもたちがモチベーションなしに続けられるほど容易いものではないこともあるからです。

モチベーションの低さが影響するライティング

英検では2016〜2017年から、特定の級においてライティングが課されました。
この辺りから、点数表記も変わり始めたように思います。

この「ライティング」ですが、日本の子どもたちはとても苦労します。
厳密に言うと「日本のカリキュラム」の中で学び続けてきている子どもたちにとっては、時に苦労が伴うのがライティングです。

何故苦労が伴うのか...
それはまさしく「伝えたい自分の考えがない」からかもしれません。

ライティングの設問は級によってその難易度や内容が異なりますが、これまでの試験内容を見てみると、

3級(中学校卒業程度)では、
"Do you often use a bike in your free time?"
という問いに対して、2つの理由を含んだ25語〜35語の英語で解答します。
準2級(高校中級程度)では、
"Do you think parents should take their children to museums?"
という問いに対して、2つの理由を含んだ50語〜60語の英語で解答します。
2級(高校上級程度)では、
Some people say young people should spend more time thinking about their future careers, do you agree with this opinion?
という問いに対して、2つの理由を含んだ80語〜100語の英語で解答します。さらに、問題には、
・Education
・Income
・Skills
という参考となる観点が示されています(使わなくても構いません)。

何故、ライティングで大いに受験者のモチベーションが試されるかというと、これらの問いに対して、まず日本語で自分の意見を確立させ、それを英語で表現する。というのは英語第二言語学習者にとっては容易いものではないからです。

当たり前のことですが、言語以前に「自分の意見がある」ということが前提条件として必要です。
そして、まさしく「自分の意見がある」ということが、日本的教育を受けた子どもたちにとって高いハードルになります。

どれくらい社会に開眼しているか?自分の中に情報があるか?

私は、英検指導の最初はライティングで始めます。
何故なら、その受験者が、
「普段からどれくらい自分や社会について考えているのか」
「社会に対してどういった問題意識を持ち、どれくらいの情報に触れているのか」

を知るには時間がかかるからです。

例えば、「ボランティア活動」について書かなければいけない時、
「ボランティア活動って何ですか?」という回答が返ってくることがあります。
ボランティア活動について書かなければいけないのに、ボランティア活動とは何かを知らない...練習だから良いものの、本番だとお手上げ状態です。

ライティングでは、しばしばこういったことが起こります。
設問にある単語が分からない以前に「それって何?」から始まることがあるのです。

これは単純に、受験者自身がどれくらい社会に開眼しているか、どれくらいの情報に触れているか、に関係しています。
英検だけに限らず、日本の大学入試では「少子化問題」や「エネルギー問題」「貧困」「LGBTQ問題」というようなトピックが、国語や英語でも取り上げられることが多いため、読み手が持つ情報量はリーディングやライティングのスピードや理解度に影響します。

自分の意見がないことで、理由が浮かばない子どもたち

受験者の年齢にもよりますが、与えられた問いに対して「2つの理由」を日本語でスラスラと言える子どもたちは少ないと感じます。

例えば「自分の自由時間で、自転車によく乗りますか?」という3級の問いに対して「はい」と答えたとしても「2つの理由」はほとんど出ません。
日本にいた頃も、高校生に対して英検指導をしてきましたが、多くの生徒たちは「はい」か「いいえ」で終わります。

「理由?そんなこと聞かれても...」と口ごもることも多く、理由を考える段階から先に進めない生徒も少なくありません。

また、級が上がると、理由を2つ述べただけでは語数が足りなくなることも多く、「理由+サポートする英文」が必要になります。
この「サポートする英文」とは、理由をさらに説明したり、情報を付け加えたりする英文です。

例えば、
「若者は将来のキャリアを考えることに、より多くの時間を費やすべきだと言う人たちがいますが、あなたはその意見に賛成ですか?」
という問いに対して、「はい」と答え、

理由①:自分の将来について考えることは、社会にある様々仕事について知る機会にも繋がるから。

とした場合、この理由にもう1文付け加える必要があります。

理由①':社会に存在する様々な仕事について知ることは、選べる仕事の選択肢を増やすことにもなり得る。

実は、子どもたちが苦労するのは理由だけでなく、理由をサポートする1文を作るところにもあります。

普段から「それについて私はこう思う」を訓練しているか?

日本の教育の特徴はまだまだ「正解主義」あり「一問一答」も根強く存在します。
狭い教室に子どもたひがひしめき合っている状況の中で「個人の意見」を聞くようなかたちで授業が進められることは少なく、
「意見を聞かれることがない」という状況の中で子どもたちは、
「自分の意見を持つ必要がない」という判断を下し続けます。

よって、英検のように「で、あなたはどう思いますか?」という意見を求められた時、「意見?別にありません」と、脳は頑なに動こうとしません。

それもそのはず、そういったトレーニングを普段からしていないのに、急にそんな動きを求められても脳は反応できないのです。

第一次的教育で鍛えられていないものは、英検で発揮しにくい

英検指導を通していつも感じるのは、「第一次的教育」の影響力です。
「第一次的教育」とは、私が勝手に名付けた名前ですが、つまりは「学校教育」です。

私が現在、学校外で行っている英検指導は子どもたちにとって「第一次的」ではありません。どちらかと言うと「第二次的」なものです。
私からしてみれば、指導する子どもたちとの時間は学校教育に比べて圧倒的に少なく、受験日までのリミットもあるため日数が限られています。

その中で、日本語で「自分の意見を持つ」ところから訓練することは不可能ではありませんが、リーディングやリスニングとのバランスを考えると、とても難しさを覚えるところです。

ブレインマップを描ける...というのは、日々の訓練の上に成り立つことを考えると、それを描いたことがない子どもたちにとって、描けるようになるためのトレーニングは時間を要します。

未だに日本の多くの学校では英検を実施していますが、ライティングを含むような試験内容があるのであれば、それに応じた授業改善も必要です。
それは英検のためだけではなく、生徒たちが「自分はこう思う」という意見を、少なくとも日本語で持つためでもあります。

英検指導を通して、日本的教育を受けた(受けている)子どもたちの向こう側に日本の教育を見たような気がしました。

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