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一問一答で逃げられないオランダ語レッスン

こんにちは!毎日暗がりが続くこの頃ですが、実は先月からオランダ語レッスンに通っています。オランダの市民化テストに合格するためと、単純にオランダ語レベルを上げていきたいな〜という思いから、週に1日、午前中3時間使ってレッスンを受けています。

国際色豊かなレッスンメンバー

これまでもオランダ語のグループレッスンを受けたことはあったのですが、私の場合、毎回レッスンメンバーは国際色豊かです。もちろんオランダ語を流暢に話せるオランダ人はいませんが(笑)、イギリスやペルー、トルコやフランス、ドイツやポルトガルなど、様々な国々から国籍も年齢も異なる人たちで集まって授業を受けています。

テキストを進めながら会話をしていく

個人的にレッスンの内容にあまり満足はしていないのですが(笑)、値段も安めだったので仕方ないかな〜と思っています。予め買うように言われていたテキストブックとワークブックに沿って授業は進められ、問題や文法の説明をオランダ語でされながら授業は進みます。

「こたえ」に自分が拘っていると気付く瞬間

オランダ語レッスンを受けて感じるのは、授業の進め方がやっぱり日本とは違うな〜。ということ。私がそれを最初に経験したのは大学生の頃。日本人ではない先生による大学の授業を受けた時だったように記憶しています。

また、アメリカに留学していた時、こんなことがありました。授業で( )内に入る適切な回答をしていく時の話です。例えばこんな感じで、

"He is going to absent from school because he needs to take care of his sister.(妹の世話を見なければいけないので、彼は学校を休むつもりだ)"

という問題があったとします。そして問題文では"from"の部分が抜かれていて、こんな英文だったとします。

"He is going to absent (     ) school because he needs to take care of his sister.(妹の世話を見なければいけないので、彼は学校を休むつもりだ)"

先生が言います、
「(    )には何が入りますか?」
生徒が答えます、
「"from"」

うん、そうですね。というかたちで授業が進むのは日本スタイルと呼びましょう。
一方で、海外で授業を受けていると、時々こう言われます。

「"from"だけじゃなくて、文章全部を読んでください」

カッコ内だけを答えることを繰り返していくと、まず先生がイライラしてくる場合があります。笑 留学中にわかったのは、ひたすらにカッコ内だけを答えようとするのは"日本人だけ"だということでした。

そこからわかるのは、いかにカッコ内のこたえに縛られて学んでいるかということです。

しかし、この文章の後半には"take care of〜(〜の世話をする)"という大切なイディオムが隠れています。カッコ内の回答だけに縛られている人は「正しい答えだけわかればいい」という感覚に縛られていて、あらゆる場面で新しい表現を学ぶチャンスを逃しながら学んでいるということになるわけです。

私が高校で授業をしていた時も、「こたえ」だけを言う生徒が圧倒的多数でした。そして、「ア、ウ、イ….」と回答は記号のように扱われ、味気のないものとして機械的に流れていきます。「正解しているかしていないか」に囚われる学習者の誕生です。皆さん、学校の英語の授業楽しかったですか?笑

「何故、その回答なのですか?」

日本の英語教材(特に受験に特化したもの)の中には四択のものも多く、1〜4から適切なものを選ぶ形式のものも溢れています。現職時代、私は3年生の授業を担当することが多かったように思うのですが、正しい答えを回答したとて、「何故、その答えにしたの?」と聞くことは多かったです。そして、ほとんどの生徒は「え、この答えじゃないの?」と思うのです。

違う、違う、そうじゃな〜い〜(鈴木雅之風)

「何故、その答えにしたの?」
という質問は、あなたの回答が間違った時だけにされる質問じゃないよ!?

個人的には正答していてもそのこたえを選んだ理由を聞くことは必要だと感じます。何故なら、多くの日本の学生は「自分の回答(や考え)に根拠を持つ」ということを経験してきていないと感じるからです。「根拠よりも正解であること(正答率)が優先される学び」は、まさしく回答を記号として扱う学びです。もちろん、最終的に点数を取ることは大切かもしれませんが、そこに至るプロセスこそ「学び」だという根本的なところに立ち返らなければいけません。

同様に、オランダ語のレッスンでも同じようなことを聞かれます。語彙から適切なものを選択して挿入した場合も「何故、そのこたえなのですか?」とよく聞かれます。それは"いじわる"ではないし、「あなたのこたえは間違っていますよ」というサインでもありません。

「何故、あなたがその回答を選んだのか、自分の言葉で説明しなさい」と言われているだけのことなのです。そこで「なんとなく」は通用しません。「自分で選んだのに、根拠がないのですか?」と逆に聞かれる場合があるだけです。アメリカの大学の先生もそう簡単に逃がしてはくれませんでしたが、オランダ語の先生もまた簡単には逃がしてはくれません。笑

「根拠を持ちなさい」と言われると、人は頭を使います。

1、2、3ではなく、何故"4"なのか?
at、on、overではなく、何故"from"なのか?

仮にこういったやり取りが小学校、中学校、高校の授業でひたすたに繰り返されていることを想像してみてください。子どもたちは「私はこう思う、何故なら…」と回答することがまるで「セット」であるかのように発言するようになると思いませんか?どうせ答えだけ言っても「で、何でそれなの?」聞かれることがわかっていたら、最初から理由を付け加えるようになります。

私が思うに、オランダの子どもたちはこうやって育っています。
「私はこう思います、何故なら…」がセットで出てくるような質問を日頃からされているということなのだと思います。

子どもへの突っ込んだ質問は、うまくいく日もあればいかない日も心得て

「今日、プレゼンテーションやった」
「そうなん、どうやった?」
「うん、まぁまぁかな」
「まぁまぁってどんな感じ?緊張した?」

というやり取りが子どもにとってOKな日もあれば「まぁまぁってどんな感じ?緊張した?」という一言が(突っ込んだ質問過ぎて)鬱陶しいと感じる日もあると思います。そこは押したり引いたりの加減を見ながら(そして、時には失敗しながら。笑)、子どもの毎日を見守るしかないのかもしれません。

調子が良さそうな時は、オランダ語の先生のように、
「何故、そうしたの?」とか「その時、どう思ったの?」とか、「そうか〜。その時はそんなきもちになったんやね〜」とか「それで、その後はどうなったの?」など、子どもが自分の感情や行動に少しずつ根拠を持って話せるようにしてあげることも必要かもしれません。

ちなみに、私がオランダの中学生と話をした時、彼らが親から聞かれる1番嫌いな質問は、
「今日学校どうやった?」
でした。笑

親から聞かれる、毎日続く単調な質問。結構、鬱陶しいらしいです。
「うん、よかったよ」
と答えるのが無難だと言っていました。(思春期は難しい)

「なんで?」と聞くのは嫌味ではない

時々、日常会話や一般的なやりとりの中でも「なんで?」と聞かれることを毛嫌いする人がいるんだなぁと感じることがあります。特に、日本語という言語においては「なんで?」という質問に嫌悪感を抱く人は多いようです。

「何で、そんなに"なんで?"って詮索されないといけないのか」
「"なんで?なんで?"ってうるさいな」

という、私にとっては「???」の人たちがたまに出現します。私の日常生活の中で会話をする確率が最も高いのは夫の義則ですが、彼は結構「なんで人間」なので日本人の中でも別として(爆)、最近は外に出ると日本人ではない人たちと話すことも多くなってきました。

彼らとの会話の中において「なんで?」は常套疑問詞なので、むしろ説明がクリアでもないのに「なんで?」と聞かないことの方が違和感に感じられるし、聞かれた方も「何故、"なんで"って聞くんだ!」なんて素振りは全くなくて「あぁ、それはね」と説明を始めます。

つまり、何が言いたいかというと「根拠を持っていない人」ほど「なんで?」と聞かれるのが気に触るということなのではないかということです。「詮索されている」と感じるのは、そこに明確な回答を見出せないからで、ついつい(イライラした)感情で対応してしてしまうのかもしれません。

「何故、AではなくBだと思うのですか?」と聞かれてイラっとするのは、「Bだと思うからだよ!」という回答くらいしか持ち合わせていないから、自分の弱いところを突かれて痛いということなのだと思うのです。図星だから感情的に反応してしまう…というのは説明がつきそうです。

「自分で選んでいる」と説明できる

「何故、朝のスタートをコーヒーから始めるのですか?」
「何故、ベッドにスマホを持ち込まないのですか?」
「何故、自転車のライトはこのタイプにしたのですか?」
「何故、食事の時はランチョンマットを敷くのですか?」
「何故、やかんでお湯を沸かすのですか?」

よく考えてみると、自分の頭で考える癖がついていて、あらゆる事柄への「なんで?」に回答できる人は「自分で選んでいる」という自負があるのかもしれません。

だとしたら、やらされているだけの勉強や、意味の感じられない宿題、生活の中にある根拠のないルールなどは、「正答率を上げるだけの学習」に似ているかもしれません。黙ってやっておけば誰も文句は言わない。結果的に、生活はスムーズになるし、それでいいやん。意味?根拠?そんなこと考えなくて良い、考えたところで"life goes on.(人生は続く)"なんだよ。

"Why do you feel happy today?(何故、今日はハッピーなの?)
※私の英語の授業では、毎回感情カードを選ぶことにしています

という回答に対して、

"Because I have a gym lesson today!(だって、今日は体育があるから)"

と回答できる子どもたち(もちろん全員ではない)の頭の中には、自分の感情とそう感じる理由のつながりが見えます。それを育てるのが私の教員としての役割で、同時に自分の子どものそれを育てることも、保護者としての役割なんだと感じるのでした。

さぁ、オランダ語の宿題、なんとなくやるんじゃないぞ、私!


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