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性教育は知識ではなく、愛の話だと思う

こんにちは!先日、日本からオランダや北欧諸国の教育について学びたい!というグループの方々がオランダにお越しくださって、一緒にカフェで話をしました。その時に集まった場所がこちら。

credit: Happy Tosti Den Haag

"Happy Tosti"は自閉症の人たち"も"一緒に働けるレストランで、明るくおしゃれな店内はたくさんの人で賑わい、もはや満席状態でした。アイデアとデザインも素敵ですが、このお店に人々が足を運ぶ理由はそれだけではなく。ただ単純にこの店のトスティが美味しいから!というのが大きな理由です。特別視されているからではなく、純粋にサービスと品質でやっていく。私はそんなところに魅力を感じます。

話題は性教育に…

今回集まってくれたのは、世界中を飛び回りその国の教育や人々の暮らしに密着している久本さん、そしてnoteでも記事を書かれているルクセス代表の高橋さん、そして若くして政治家を目指す期待の星!海地くん、そして現職の先生をされている方もお越しくださったのでした。

特に現職の先生をされている由香さん(仮名)は、オランダの性教育に興味があるとのことでした。そして、私たちの話題は性教育にも及びました。

その中でも、海地くんが言った一言がとても印象に残っています。

「…そういった点では、日本の性教育はどうしても知識に偏ろうとしている気がします。僕が生まれたのは"卵子と精子がくっついたから"という理解で、"母と父が愛し合ったから"ではないような気がするんです」

「なるほどな〜」と思いました。海地くんが言いたいことはすごくわかります。生命が誕生するのに必要なのは卵子と精子ではなく「愛し合う」という行為なのだと伝えたい。もちろん、諸事情によって愛し合うという行為において生命が誕生しないこともあるでしょう。しかし、いかなる方法をとったにせよ、そこに「愛」つまり「愛するあなたとの子どもが欲しい」という愛情や感情がなければ、生命の誕生は起こり得ないのだ….ということをすっとばして、性教育は語れないということなのです。

愛を語れない…?

私が日本を出た1つの理由に「パートナーとの愛を語れない」というジレンマがありました。私は、私の周囲の人たちがパートナーを愛していたり、家族を愛している…ということを聞くと、とても嬉しい気持ちになります。あらゆる愛のかたちが、きちんと市民権を得て表現されるということにとても居心地の良さを感じるのです。

一方で、私の限られた人間関係の中ではそういったことを語ると「ヒューヒュー!」と言われたり「のろけかい!」と言われたりすることがあり(恐らく照れ隠し?)、居心地の悪さを感じることがありました

誰かを愛したり、愛されたり…愛の中に生きることは「他の誰かを大切にする」ために必要なことだと感じます。自分が満たされていない状況で、愛されていない状況で、誰が他人に優しくできるのか...?あなた自身が満たされていることは、「隣人を愛する余裕」を指すと私は思っています。そして、世界平和は、まず最も身近な人を愛し愛されているという安心から。そして、その余裕を持って隣人を愛することから始まるのではないかと思うのです。

隣人愛と聞くと、ちょっと宗教じみた感じがするかもしれませんが(私は特定の宗教を信仰していません)、隣人愛とは特別なものではないのだと、ボランティアを始めて気付かされました。フードバンクに来る人たちをボランティアというかたちで支援することもまた一つの愛のかたちだと思っています。そして、私からそういった余裕が生まれた1つの要素は、私自身がパートナーや家族を愛し、愛されているという安心感にあると思ったのです。

メカニズムよりも、あなたは愛されて生まれてきたという事実を

生物学的に、生命とはどのようにして生まれるかを知っておくことはとても大切なことだと思います。でも、メカニズムはわかったけど、何故そうするに至ったのか?を子どもに多く語る人たちはあまり多くない印象です。

「2人はどうやって出会ったの?」
「どこが好きだと思ったの?」

子どもは素直にそれを知りたいと思う日がきます。私が教えている生徒の中にも、自分の両親がどのように出会ったかを教えてくれる生徒はいます。そして「とっても素敵な話だね!」と伝えることは、その発言をした生徒自身に「あなたの存在はセレブレーション(あなたの存在は尊い)だ」ということを伝えることにもつながります。

もちろん、両親が別居していたり、離婚していたり、様々な状況はありますが、それでも「あなたの存在はセレブレーションであること」に変わりはありません。愛し合った人たちの結晶が自分であると理解することは、今そこに命があることを無条件に肯定することだと思います。

パートナーに、子どもに、家族に…今日、愛を伝えましたか?:)
仮に、素直に伝えられないとすれば、一体何が引っ掛かっているのでしょう?何が邪魔をしていると思いますか?

最も身近な存在を愛することは、その周囲にいる人たちを気に掛けることにも繋がります。人に優しくできる社会は、いつも「自分」から始まり、最も身近な人たちを愛し、愛される余裕があるから、その外側に視野を広げることができるのかもしれません。

大切な人を当たり前に大切にできる社会は"誰か"が作るのではなく、自分から生まれるのだと思って生きていきたい、そんな今日この頃です。

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