コロナ感染は、米国の日本人社会にも広がって来ている。でも、患者への対応は、米国は手厚く、日本はお粗末すぎる



去年の暮れから、今年に入って、米国内の、NY、LA、の covid-19の感染が、日本人社会に

も、広がってきて、危機感が増してきているように思う。

ここ、マウイは、太平洋の真ん中で、感染者も少なく、平和な日々が続いているが、NY、LA

とは、随分と、事情が違うのだ、とアメリカ本土の友人と話していて感じている。

去年までは、NY、LAとも、日本人の感染を、聞いたことがなかったが、暮れ辺り

から、知り合いの日本人、友人から、感染者がものすごく、増えているというのだ。

 LAの友人は、人と話すときも、必ずマスクをし、なるべく、屋外で 喋るようにしているという。


 日本も、感染者が増えているのは、報道で聞いているが、ここで、比較したいのは、日米の、感染者、及び、感染者かもしれない人 への国の対応である。


はっきり言って、日本の感染者への対応は、ひどくて 本当に、お気の毒だと思う。


感染者が出たら、もう、社会的に抹殺されるような勢いで、周囲の目は、冷たい。

それが原因で、自殺されたような報道もある。

そして、経済的にも、保証がない。

まずもって、PCR検査も、有料で、治療も、自己負担のところが大きいと聞く。

その点、アメリカは全く違う。

検査も無料で、患者への、家賃の減額や、色々な 経済的なサポートもある。


本当に、弱者、困っている人に優しい国、アメリカだなあと感じる。


今朝も、その違いを、LAに30年以上住んでいる友人と、語り合った。

やはり、国の成り立ちが、キリスト教の教えに基づいているからではないか、と言うのが、二人の結論だ。

もちろん、移民の国であるがゆえ、助け合っていかないと、生きていけない社会構造というのもあるだろう。

でも、キリスト教は愛を説く宗教で、困っている人を助けることは、キリスト教的には、当然

のことで、特に、賞賛されることでもなく、人に奉仕をしないことの方が、極端にいえば、罪

なのだ、というような意識がある。

困っている人を当然助けるという精神は、かなり、アメリカ人の無意識に入っていると私は、

普段から感じている。

アメリカ人は、大都会の真ん中、NYでも優しかった。


昔、マンハッタンで、つまづいて、転んでしまったことがあったが、その瞬間、動け

ない私の周りに、人々が、 歩道の向こう側からも、10人くらいが 一斉に駆け寄ってくれた。

男女、色々な温かい人たちだった。

「大丈夫?。。ちゃんと立ち上がれる?」と聞いてくれる人たち。

アメリカ人の優しさに 感動した、記憶は、いまでもはっきり覚えている。


一度、日本でも、転んだことがあったが、誰一人、止まってくれた人はいなくて、日本人って冷たいんだな、と 思った。

私の知っている日本の方は、みんないい人で、私は日本人が大好きだけれど、社会という中の

日本人は、知らない他人に、とても冷たいと思う。


今回のコロナ感染者に対する、まるで、罪を犯した人のような 社会的抹殺力を見ていると、本当に 恐ろしい。

感染者や、その患者をお世話しないといけない 家族への配慮など、これっぽっちもないように、こちらからには見えてしまう。


米国は、看護する家族まで経済的にも、ケアするような制度が整っている。


日本では、PCR検査を受けるにも、保健所と病院をたらい回しにされたり、検査自体が有料と

いうことで、検査を受けていない、潜在的に存在する感染者は、かなりの数ではないかと思う。

社会的に、追い込まれることを考えると、怖くて、検査すらできない人も、存在しているよう

に思えて、気の毒に感じる。


献身的に、個人医院で コロナ患者を診られているお医者さんもいらっしゃるが、そういう方

を、近所迷惑と、なじるような、日本人も存在するのが嘆かわしい。 

多くの感染者数を、公表して、オリンピックを中止したくない、思惑があってのことなのか、

どうなのか、わからないけれど、感染者、その家族の方への、誹謗中傷による心のケアを、

もっと、国は重視していかないといけない時期に来ていると思う。


 弱者にもっと優しく、ニッポン! である。

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