現代社会は、合理化、能率化を求めて、進んできたけれど、人間の本質は非合理的な存在ゆえ、心を病んでしまう人が多い
合理化、効率化、を 極めることが標語のように、よしとして、進んできた現代社会。
世界中に心を病む人が、反比例して増えた理由は 明白で、 人間は、とても、不合理な存在なのだと思う。
白と黒という色にしても、2色だけではない。白にも、100種類くらいの種類があり、限り
になく黒に近いグレーから、限りになく白に近いグレーまである。
色の多様性よりも、さらに多様性を極める、人間の思考、志向 が星の数ほど存在する。
割り切れない存在である人間。
単純でなく、複雑すぎる人間。
そんな人間が、一つの標語で突き進むような 合理化を極めれば、人間が崩壊するのは、目に見えている。
それに 警鐘を鳴らしていたのは、芸術家、であれば、岡本太郎氏。
綺麗事として、、大阪万博で掲げられていたのは、人類の発展と調和。 彼は、太陽の塔を作
りながら、彼が伝えたかった本当のメッセージは、そんな綺麗事で、進められて行く、テクノロジーの合理化への批判。
原始回帰としての、縄文土器を、太陽の塔の内側 真ん中に、突き刺した。
この歳になって、彼の言わんとしていたことが、本当に理解できるようになった。
彼の感性には、世界が進む50年後が予見できていたのだろう。
「夢は、ハワイに住んで、海を眺めながら過ごすこと。」
という話は、しょっちゅう耳にする。
決して、それがいけないわけでもない。
ただ、一つ言えることは、それが実現したとして、魂が震えるほど、幸せになれるほど、人間
は 単純にできていない、ということだ。
実際、マウイの、自分の家から海を毎日眺めて暮らしていて、確かに、心地良い環境で
あるけれど、それで、人生悲しみも、苦しみも、何もかも、なくなるわけではないのだ。
これが手に入れば幸せで、永遠に最高になれる、というゲームは、人間の人生ゲームには存在しない。
ゴールしたら、あとは幸せしか、待っていないような 感覚。
悟ったら、もう、苦しみは 消えて行くような、感覚。
これは、人間の、理想としての、ゲーム設定でしかない。
幸せも、苦しみ、も 悲しみも、すべて 同じ一袋の、福袋に入った 商品なのだ。
福袋は、この商品はいらないけどな、という、商品も必ず袋の中に入ってくる。
人生も、どこまでいっても福袋、なのだ。
気に入らない商品も、入っていてくれてありがとう、という境地になることこそが、悟りと言えるだろう。
哲学者、ニーチェが言った、人間の精神の成長には、3段階があり、その最後の、超人、になる境地。
超人とは、これは、幼子のように自由に、その瞬間を無邪気に遊ぶ 精神段階。
周りの社会状況が、クーデターが起こっていても、である。
能率化、コストパフォーマンス、合理化。
時間の圧縮を進む方向には、決して精神と魂の豊かさはない。
不要不急の時間にこそ、生きる意味がある。
時間をゆったり持って、お茶の産地に想いを馳せながら、一杯のお茶を楽しむ。
どんな人がどんな気持ちで葉を摘んだのだろう、と、イマジネーションの中で、楽しめる時間。
私は、ますます、縄文回帰な生活を目指していこう と日々思っている。
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