真実を ありのままに、表現する方が、物事は良き方向に 導かれる



ある文献を、最近読んだのであるけれど、 SNSを使っての、コミュニケーション、自己表現が 一般化してきた昨今、

心の弊害も起こってきている、というお話。


どういうことか、というと、顔も、アプリで修正し、盛る、ことが 普通のご時世。 すると、リアルで会うときに、相手の

期待値を 下げてしまうということで、 男女間である場合、モテなくなるらしい。


そして、盛るということは、実際の自分から、乖離しているわけで、自分を、欺いている。


セルフイメージが 傷つき、それを繰り返すことで、心にも、弊害が出てくるのは、明らかだろう。

そのままを、真実をありのままに 表現することは 勇気がいることだ。

それが、心から愛している表現でも、 憎しみを表現する場合でも、 同じく勇気がいる。

愛しているときは、それを表現することで、相手に重いと思われるとか、拒絶される恐怖もある。 


憎しみを表現するときも、相手との関係をさらに悪化させるかもしれない、という恐怖がある。

人は、その恐怖故に、どちらをも、避ける傾向がある。 

私も、一番近い人、家族とか、恋人とかに、 真実を表現するのを、何年も避けてきた 経験がある。

とりあえず、今、無難に過ごしていたら、いいのだから、面倒なことを 言うのは、やめておこう。


でも、やはり、真実を 勇気を持って 開示した時の方が、物事は 良い方向に進む。


相手の死が、近づいてきたとき、それは、父の場合だったのだけれど、 そのまま、年老いている父に、昔のわだかまり、悲しみを ぶつけるのは、 きつかった。


でも、当時の、恋人が、NYから電話をくれて「 今日、病院へ行って、必ず、父親に思ってたことをいうんだよ。 それは、君のためにね」 と 背中を押してくれた。

私は、深呼吸して、昔の話、どんなに悲しかったか、を 父に涙ながらに、淡々と語った。

体も、一回りも小さくなった 父は、静かに聞いてから、こう言った。


「そんな恨みが あったのやな。」と、驚いてはいるが 静かな 声だった。 そして、こう続けた。

「死ぬ前に 言ってくれて 有難う。」

父も若く、精一杯生きていた時で、 子供を思いやる、余裕が無かった時代 だったというのもよくわかる。


この一言で、私の中の何かが 溶けて、 許せるような感覚があった。

真実を語るのは、勇気がいるけれど、 必ず、その後には、何か、良き方向に、両者とも導かれるという 経験をした忘れられない思い出である。


二人の間には、やはり、深い愛情が あるわけなのだから、真摯に、コミュニケーションする中で、その、愛=統合したいエネルギーに導かれるのだろう。


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