その忠告、愛ですか?評論ですか?a.k.a.「オカンvsジャーナリスト」
SNSをやっていると、良くあるのだけど、
親切顔をしたコメント。
「結婚式でサングラスをして出るなんてよくないよ」
「結婚しているのに他の人にべたべたしたらだめだよ」
そんなちっこくて受け取る方は気になってしまう忠告の数々。
人の行動や言動について、かく言う私も実は、人に忠告をすることがある。
今回の大切な気づきは、忠告というのは大きく2つに分かれているということだ。
1つはその人物の安全を守るためが目的のもの。
私の忠告は「オカン忠告」と名づけていて、
評論でもジャーナリズムでも、けなしたいからや羨ましいからでもなんでもなく、
自分の子を思って伝えるように、その人物の「未来」や「したいこと」を阻害しないために第三者からみた意見をそっと伝えるということ。
私が心がけているのはそれで、例えば他の人にべたべたしたらダメという忠告が、私から発信される場合、伝える相手の安全を思い測ってのこと。
それが男性でも、女性側がストーカーになるケースもある。少しの接触で女性側が勘違いをして男性側に特別な恋愛感情を持ってしまい、ストーカーとなって自宅の鍵を送りつけてきたりなどを目の当たりにしてきた経験もある。だから常に性別関係なく、心配になる。
忠告というのは大きく2つに分かれていると言ったけれど、残りのもう1つは、「忠告を与える相手のことを想って」という気持ちではなく、「自分が不快だからやめて貰いたい」というようなもの。または評論家気取りで発せられるようなもの。
例えば破天荒なことをしている人を見て発する「やめた方がいい」という言葉はその時、メディスンでなくポイズンになる。「言われた相手に違和感が残ったり、傷つけるもの」になる。
君の「正しさ」を、君が守っているのはいい。
それを他人に押し付けるのはお門違いなんじゃないかと思うのだ。
「常識」というものは人を傷つけないためにある。
ルールも同じだと思う。
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「HITOTEMA」は、2014年にスタートした渋谷区にある週一回のみオープンするレストラン。そんな変わった業態でお店を続ける中で、お客様…
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