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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(7)

 図書館の自習室で1時間ほど、小説の書き出しを考えているうちにタイムリミットが来た。夕方、ちょっと買い物をすませなきゃならなかった。来月、両親が所用で上京してくる。そのついでに息子の顔も見たいって話だ。どうせどこかで食事をするだろうから、そのときに着るボタンダウンのシャツでも買おうと思った。洋服は少なくなく持っているほうだと思うが、少しでもよれたものを着ていれば母親の格好のお小言のネタになるにちがいない。新品を着ていればほめられこそすれ、注意されることはないだろう。人間見た目が大事だ。それも第一印象がとりわけ大切。それを押さえた上でこちらの要求をほんのり伝えるのだ。かましてやれ。僕は実家に帰りません、もうあんなところにはいられません、こちらの生活が肌に合ってます、と。そんなことばかり考えているうちに、結局、今日は書き出しも考えつかずに終わってしまった。一体僕は、何を書きたいんだろう。

 薄暗い部屋のなかで目が覚めて、しばらく布団の中から出られず、ぼんやりとした妄想のたぐいが頭をもたげた。1年半前の入学式の夢を見た。過去の手帳なんか読み返したせいだ。あいつら今頃どうしてるんだろう、などと入学当初に出たクラス会のことを思い出す。
 初めてクラス単位での授業があった日の夜、懇親会という名の飲み会があった。最初だから、ほどんどのクラスメイトが面白がって出席した。いつの間にか仕切る奴というのがいて、そいつの進行にのっとって全員が自己紹介をした。
 

 ひととおり名前とか出身地などを述べただけで自己紹介はすぐに終わり、僕は近くに座った男ばかりの4、5人の話の輪に加わった。まずは、会社をおこしたいといきなり言う奴。参加サークルはすでに15を超えているという。とにかく顔を売りまくり、友達をふやしたい、自分の才能を伸ばしたい、5年後には年商1億、10年後にはニューズウィークの表紙になりたいそうだ。どこまで本気で言っているのかわからないが、こいつの目つきが尋常でないことは確かだった。輪の中にいる全員に視線を送り、語尾に「でしょう?」とつけて同意を求める話術は人を魅了する部分がある反面、何かを模倣しているようにも見えて、性格がまるで見えてこない。で、お前の本心はなんなんだ?と話の最後に必ずくっつけて聞きかえしたくなるような印象。ハラダというものです、とビジネスライクにしたい感じで名刺をくばってよこした。

 次は、見るからに女に慣れてそうな奴。髪の毛は肩にかかるくらいまで伸ばし、毛先を黄色く染め、まだ夏前なのにすでに黒く日焼けしている。目が眼孔からこぼれるかと思うほど大きく、下唇の厚い口元には薄く不精ひげ。地元が鎌倉で、サーフィンが趣味で、自分専用の車を所有していて、彼女は中学で2人、高校で10人いたという。ここまでを誰が詮索するでもなく、みずから、しかし嫌みなくさらっと言ってしまっている。僕には到底真似できない芸当だ。あまりにもわざとらしさがないので、こいつにとっては、ここまでそろっているのが当たり前のことなんだと思った。他の誰とも比べない、したがって自分の恵まれた境遇について、遠慮や嫌みの発生する隙がないのだ。彼女にはいつも、ヒロくんと呼ばせるんだ、家の中でそう呼ばれてるから、それが落ち着くんだという。だからみんなもそう呼んで、と照れくさそうに笑う。で、今彼女いるの?と誰かが聞くと、募集中だとぬかすのである。

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