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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(6)

 翌日、大学の図書館に場所を変えてみた。広いキャンパスの周囲は森に囲まれていて、キャンパスの中にも並木や樹がたくさん植えられている。レンガ造りの四角い建物が並ぶ校舎の間を縫うように、緑が配置されている。レンガの赤土色と樹々の深緑色が似合っていて、校門をくぐって構内を見わたす景色を僕は密かに気に入っている。都心から電車で一時間半もかけてたどり着くわけだから、このくらいの風景は楽しめて当然だとも思う。校舎の周りには人家の気配すらなく、緑がいつでも視界の何十パーセントかを占めている。そしてよい空気だ。ふんだんに、実家近くの風景を思い出させる。ときどきそれが身を切られるように思うことがある。大げさだと思うけれども、腹立たしくさえなるのだ。

 何かの記念図書館と名づけられているこの建物は古くない。きれいな設備に自習用の個室まである。なかなかに居心地がよい。期末テスト直前となると、自習室をはじめ、閲覧用の机までが学生で満杯になる。ここにいればなんだか勉強したような気になるのが不思議だが、僕はだからこそあまりここを利用しない。今日は夕方に用事があるので、ここで小説の第一行目でも考えようかと思っていたが、やっぱり雑誌や新刊コーナーで時間を費やしてしまった。調べ物などの用事がなくても、情報誌や新聞があるから、いい暇つぶしができてしまうのである。
 偶然、正面玄関で同じクラスのMと顔を合わせた。

 「今日また3限出なかった?重要な発言があったぞ。ここの章を必ず試験に出すってね。教科書の、エーと何ページだったっけな……」
図書館の入り口で教科書を広げだすMはなんというか、いとおしい。そしてときどきうっとうしい。駅の自動改札の前で教科書開くやつはあまりいないだろうが、ここはまさにそんな感じの、学生証をセキュリティゲートにかざして通過するところだ。
 「ほんとかよ。こんどさ、ノート予約していい?ていうか予約は今するわ。お願い!明日ちょうだい。教えてくれてホントありがとう」
 いとおしさとうっとうしさが2秒おきに入れ替わる対象・Mに助けてもらう約束をする。人には向き不向きがある。Mは授業のノートをとるのが得意な人、僕は不得意なほう。しばらく自動改札もどきのゲート付近に居座って立ち話をした。Mによると、創作演習の矢萩講師はなかなかのタフガイであるという話だ。

 Mも偶然、同じ創作演習を履修登録したことを先日知り、僕は心底命拾いした気がしたが、すぐにそれはぬか喜びであることに思い至った。何度も履修科目ガイドで確認したとおり、課題はすべて自身の創作でなければならない、からだ。なかなかのタフガイって、お前そのコトバいつの時代?と頭を小突きながらMにノートのコピーを明日とらせてと最後に念押ししてわかれた。Mが今すぐノートを貸し出せないことは知っている。Mは家に帰ってから清書するからだ。この大学に入学してから、彼に何度窮地を救ってもらったことか。有難さのあまりどう礼をしたらいいかわからない。だから結局今まで何も礼らしい礼をしたことがない。

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