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物語「しょうがチューブ」

久々に、何の企画にも参加してない物語を書きました。

ファンタジーかホラーか…。
よかったら読んでください。
3000文字くらいです。

「しょうがチューブ」

数日前からときどき玄関の古いガラス戸を、ざんざんざん、と叩く音があった。

最初は風が戸を揺らしているのかと思った。

だがわたしはあるときふと思った。
これ、ノックじゃないの?

ガラス戸を誰か叩いている?

うちにはお客など来るはずがない。わたしにはそんなに親しい友達はいないはずだ。
両親はとうに亡くなり、古い家に、今住んでいるのはわたしひとりだ。

さて、ガラス戸を叩くのは誰だろう。

幽霊かな。
まさか。

小さい頃からオバケが苦手だった。
夜中のトイレに行く際には、廊下をアニメソングを歌いながら歩いたものだ。

恐怖より、ああ、あのアニメソングを歌っていたころに戻りたい。そのときから人生をやり直せたら。

そんなふうに思う。

何十年も生きてきてたどり着いた場所で望むことが過去に戻りたいとか、笑える。

まあ、たどり着いてはいないよね。
わたしは結局、どこへもいこうとしなかったじゃないか。
目をきつくつぶって、生まれた家にしがみついていただけだった。

と、いうことにどうにもできなくなってから気づく人、いるよね。
いっそのこと死ぬまで気づかなきゃよかったのに。

ざんざんざん。

はいはい、「自分可哀想劇場」はこれくらいにしておきましょうね。

わたしは思いきってガラス戸を開けた。
扉が、時間の斜め後ろに走り去っていく。

立っていたのはやはり幽霊だった。
なぜなら透けている。

ほのぐらい、夕暮れ間近。

しかしどこかで会ったような気がする幽霊だ。でも幽霊に知り合いはほとんどいなかったと記憶している。

どこで会った?

どこで…。

髪は長く少し濡れているように見える。そして高校かどこかの制服を着ている、たぶん女性だ。

「高校生じゃないよ」

小さい声だが、話し方はぱきっと綺麗に真っ二つに割れる割り箸みたいに、すっきりわかりやすい。

彼女の声が、わたしの頭にはっきり聞こえる。
「とっくに高校生じゃないけどね、お酒も飲める年なんだよ。理由はよくわからないけど、こんな格好なんだ」
「そうなんだ」
と、わたしはうなずく。

「ねえ、しょうがチューブある?」
最初、何を言ったのかわからなかった。
「いまなんて?」
「しょうが、チューブ」
やはり小さな声だが、本当にはっきり聞こえる。
「どうして」
「おぼろ豆腐食べるの。友達がおぼろ豆腐と醤油は持ってきてさ。でもしょうがはなくて。やっぱ、豆腐にはしょうががほしいと思わない?」

わたしが死んでも、おぼろ豆腐を一緒に食べようなんて言ってくれる友達はいないんじゃないかな。まあいいけど。

「しょうがの辛さ、つん、ぴりっ、そういうとこね、必要だよね。ね、しょうがチューブある?ちょっと借りるだけだよ」
次は日本酒ないかな、と言い出すのではないかと少し思ったが、彼女は本当にしょうがチューブだけが欲しいようで、わたしの回答を待っているようだった。

「確か、あるはず。でも使いかけだよ」
と、わたしは言った。
「もちろんかまわないよ」
と、彼女は言った。

冷蔵庫からしょうがチューブを持ってきても、やはり彼女はうっすら透けて隣の家の庭木をもやもやとわたしの目に見せながら立っていた。

幽霊だよな。

「どうぞ」
「ありがとう」

彼女の手に取られた瞬間、しょうがチューブは薄く透けるようになった。彼女と同様に。

おいおい、どういうことだ。裏切り者。
しょうがチューブは向こうの世界にいってしまったということだな。

「楽しそうだね、おぼろ豆腐パーティー」
冗談を言ったつもりだった。
だが、彼女は怪訝な顔をしただけだった。
「パーティーじゃないよ」
「ごめんなさい」
彼女は「あ、わたし何言えばいいんだろ」みたいな顔をしていた。

わたしは、とても恥ずかしい気持ちになった。

「あんたが、わたしのことが見えてなおかつしょうがチューブ貸してくれる優しそうな人だったから訪ねてみた。ありがとね」
と、彼女は結構早口で言った。優しそうな、というところを強調していた。たぶん、気を使ったのだろう。

「会ったことあるような気がする」
と、わたしはそこで言った。
「どこで?」
と、彼女は聞いた。
「たぶん、十年くらい前」
「だいぶ前だね」
彼女は何度か頷いた。

「公園、平日の昼間、あなたはベンチに腰掛けていた。あなたは生きていて、そして女子高生だった。そう、その制服。公園の近くの高校の制服。わたしはあなたの隣のベンチにいた。しばらくしたら男子校生がやってきて、あなたの前でいきなり怒鳴った。“嫌だななんか揉めてるのかな”と思った。さっさと帰ろうかしらと思った。巻き込まれたくない気持ち、覚えているわ」

「ま、普通巻き込まれたくないよね」
彼女は否定しなかった、なにも。

「そのうち男子校生はあなたを殴ろうとした。そしたら、あなたはその手を掴んで、反対の手で彼の頬を引っ叩いた。見事な平手打ちだったよ。綺麗なカーブを描いてた」

「ああ、それわたしだ。間違いなく」
彼女は認めた。

「やっぱりそうか」
そうだ、あの子だった。
わたしはちょっとほっとした。

「ところで、見ていたあなたはその後どうしたの?」
と、彼女はわたしに聞く。
「逃げたよ」
と、わたしは正直に言った。
「はっとして。“わたし、このままだと本当にとんでもないことに巻き込まれる”って思ったんだ」
「そう」
彼女は、“明日の天気予報は曇りのち雨だけど、傘は折りたたみでよいかしら”、などと考えているような表情をした。

「なんだか、悪かったわ」
と、わたしは謝った。 
「いいよ。でもあなた損したよ。残念だったと思うよ。あのあとが一番面白いところだったの」
と、彼女はとくに残念そうにも聞こえない口調で言った。
「そう」
「言っとくけど、わたし、そのときに殺されたわけじゃないからね」
と、彼女はさらっと言った。
「そう」
と、わたしはしばらく考えて続きを言った。
「じゃあ、そのときは勝ったんだね」

彼女は首をふった。
「勝ったわけじゃないな。結局のところ、わたしも逃げたの。あの男からね」
「そう」
「だから、あなたも逃げて正解だね」

わたしは、薄く笑った。

でも、あのとき逃げなければ今日、あなたとおぼろ豆腐パーティーできたかもね。

「そろそろ行くわ」

と、彼女は言った。

「友達とご飯とか食べながら会話するのが好きでさ、友達いい人だよ。話してると面白いし。じゃ」
小さい、しかしよく通る声で彼女は言うと、夕暮れが広がりつつある道路に、舞い降りては浮かぶ勝手な雨粒のような足取りで、歩いてそして霞んで消えた。

わたしはそのあとで何をしようかと思ったけれど、何も思いつかずガラス戸を閉めた。

夕ご飯は何にしようかな。
しょうがチューブを使わないメニューにしなくては。
それから、豆腐も使わないメニューにしよう。

それから数日間、冷蔵庫にしょうがチューブは存在しなかった。

昨日、冷蔵庫を開けたらドアポケットの中に復活していた。

あの人、勝手に入って、置いて、行ったんだな。
もう去ってしまった。

幽霊の気配も、幽霊の友達の気配も、おぼろ豆腐パーティーの気配もなかった。

しょうがチューブ自身はどうしてる?
しょうがチューブはもう透けていなかった。
こっちの世界に戻ってきていた。

「でも、かなりの大冒険だったんだよ。
僕は頭の上から崩されたんだ、しゃくしゃくっと。まるでおぼろ豆腐みたいにね。
そして、すうっとしょうが液が彼女達に吸い取られたんだ」

ー減ってしまったんだね。

わたしの言葉には答えなかったが、しょうがチューブはとりあえずある程度の重さと辛さとともに冷蔵庫に戻り、ほっとしているように見えた。

***終わり***

読んでくださってありがとうございました。

終わってるけど、続きがあるような感じもするので、思いついたらまた書こうかな。