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記憶

数日ぶりにパソコンに向かっています。

今週から、あたらしい仕事探しのため、すこしずつ再始動しはじめました。わたしにとって、このタイミングで再始動していくことは、ただ再就職先を探す、ということ以上の意味があると思っています。

あたらしい仕事を探す、というより、今までの自分を全て手放し、まっさらな、あたらしい自分に生まれ直していくような感覚があります。もっと言えば、自分自身が感じる感覚に正直に生きる、という選択肢しか、今のわたしには残されていない、とも感じています。それに伴い、あたらしくマガジンを作ってみました。

マガジンのタイトルは、記憶。記録ではなく、記憶。

過去の記憶を辿りながら自分を見つめて、本来の自分に戻っていく日々を、その時々に感じた気持ちを残したい、という想いを込めて名付けました。ものすごく不定期の更新になるかと思いますが、お付き合い頂けましたら、幸いです。

手放すという決意

ここ数日のあいだに、いろんなご縁があって、潜在意識の自分と対話して気づいたことが、たくさんありました。それをすこし綴っていきたいと思います。

わたしが精神的な病気を患ってから、今年で十年が経ちました。この十年間、本当にいろんなことがあったけれど、わたしの場合、病気になったことは自分自身で選んだことであり、そして「病気であること」によって、わたしは自分を保っていたのだ、ということに気づきました。

そして、そのために、わたしは自分自身も、わたしの周りにいる人たちも、たくさん傷つけながら、生きてきました。でも、もう自分自身も、周りの人たちも傷つけたくない。病気であることによって、自分を保ってきた自分を手放して、生きていこうと決意しました。

この家庭は崩壊するという記憶

わたしには、いわゆる、機能不全家族で育ってきたという自覚があります。

わたしの家庭では、家族で食卓を囲んだ記憶がほとんどありません。父と祖父の仲が悪く、わたしが小学生の頃、ある日、食卓で大喧嘩が起きて以来、祖父は亡くなるまで(わたしが高校生の頃まで)、自室で一人ごはんを食べるようになりました。また、父は祖父から暴力を振るわれていました。直感的に、わたしが何とかしなければ、この家庭は崩壊する、と思いました。

母は仕事で忙しかったため、祖父の部屋にごはんを持っていくことが、家族の中で、長女であるわたしの役割でした。わたしがごはんを持っていくことを怖がったり、祖父からお小遣いをもらったりすると、今度は、わたしが父からすごい剣幕で怒鳴られました。

その時、わたしは硬直して、何も言えず、自分の本当の気持ちを表現することは怖いことなんだ、ということを覚えました。怖い、悲しい、苦しいなど、そういった感情を全て押さえ込んだまま、わたしは、大人になりました。当時、そういった感情や家庭の状況を誰に相談したらいいか分からなかったし、周りに相談できる人もいませんでした。そもそも、家族のなかで、そういう感情を感じてはいけない/表現してはいけないという空気がありました。

学校では、明るく快活な女の子として振る舞い、家庭では、祖父と父の調整役として、祖父や父の暴言や暴力に怯えながら過ごす日々でした。それは約十年間、続きました。

生きづらさに気づく自分

大学進学のため関西で一人暮らしをはじめ、大学を卒業し、就職してから、わたしは何かが、おかしいと気づきはじめました。わたしは常に周りの人の顔色を伺うことしかできず、指示がないと全く動けない大人になっていました。

仕事でも、プライベートでも、そこには目の前の相手と対等な関係を築くことが全くできない自分がいました。特に男性に対して、恐怖心が強く、本当の気持ちが言えないのです。

精神的に不安定になると気持ちのコントロールができなくなって、パニックになり、どうしたらいいのかわからなくなる。これは、何かがおかしいと思いました。

そして、十年前、人間関係のもつれから、わたしは精神科病院の扉をノックすることになりました。

お薬を飲んでも治らない理由

精神科に通い始めてから、十年間にわたり、現在も、わたしは二週間に一度、診察とカウンセリングを受け続けています。

症状が安定しているときはお薬の量が減ったりすることはあっても、わたしは仕事やプライベートで、ストレスがかかるたびに、気持ちのコントロールができなくなり、精神的に不安定になる、ということを繰り返していました。しかし、お薬を飲んで、一時的に思考をシャットダウンさせることはできても、根本的な解決にはなっていないことは、明白でした。

今まで、お薬にはたくさん助けられてきたけれど、わたし自身、お薬では根本的に問題を解決できないと分かっていながら、お薬を飲み続けることに疲れていました。

そして、ついに先日、今まで認めたくなかった真実に気づきました。それは、全ては自分自身だった、ということでした。

わたしは、父や祖父のような暴力的な生き方はしたくない、と思いながら、わたしは、父や祖父のような暴力的な生き方を完全になぞっていました。日々の暮らしの中で、ストレスがかかった時、どういう風に、自分の気持ちを表現したらよいのか分からず、気持ちのコントロールが出来なくなり、パニックになってしまうという症状は、明らかに父や祖父が暴力や暴言を発する時の状態と全く同じ心理状態で、そのために自分自身や周りの人たちを傷つけていました。わたしが長年感じてきた生きづらさの根源は、自分が感じている素直な気持ちを、適切に表現できない自分自身にあったのです。

認めて、手放すということ

今、わたしは「毒になる親」という本を少しずつ読んでいます。今までは、そのタイトルから、読むことを躊躇する自分がいました。でも、今までの自分から脱するために、わたしは今、この本を読む必要があると思いました。

この本を読むことは、わたしにとって、結構、エネルギーが必要で、まだ、ほんの数ページしか読めていませんが、数ページ読んだだけでも、今のわたしに必要なことがたくさん書いてありました。なぜなら、「毒になる親」に書いてあることは、わたしの家族のことでもあるけれど、自分自身のことでもあるからです。

全ては、自分自身だった、ということに気づくのに、わたしはこんなにも時間がかかってしまいました。今でも、家族の中では、亡くなった祖父のことや昔の話をすることはタブーになっているし、今はまだ、自分が感じている素直な気持ちを文字に綴ることが精一杯だけど、そこから、なにもかもが、はじまる気がしています。

暴力や暴言を振るう父や祖父に対して「怖かった」という感情が今もわたしの中に残っていることや、決して暴力や暴言を肯定するわけではないことを前置きした上で、本当は、祖父も父も何か伝えたい気持ちや想いがあったけれど、それを暴力や暴言でしか伝える術を知らなかっただけなんだ、と、わたしは信じています。

その負の連鎖を断ち切るためにも、今のわたしができることとして、自分自身を見つめ直す中で、まずは、自分が感じている感情を自分で整理して、それを適切に表現できるようになりたい。そして、自分自身の気持ちも、周りの人たちの気持ちも大切にしながら、できるだけ、やさしい気持ちで生きていきたい。そんな想いで、これを書いています。ゆっくりとした足取りかもしれないけれど、自分の足で、自分の人生を歩いていけるように。

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