意味は、あります
昨年の初め、重い腰を上げてジムに通った。
「仕事でおいしいものを食べられるなんていいね」とよく言われるけど、自分でも本当にラッキーだと思うけど、ツケは必ずやってくる。
すると、人はどうするか。
体重計に載らなくなり、美容院でも鏡を見なくなる。徹底して現実から目を背けるのである。ぽっちゃりしている方がイカワさんらしいという、変な認め方も次第に心地よくなっていく。
しかし一昨年の年末に何十年かぶりで秋田の友人と再会したとき、彼女たちは懐かしがるより先に大笑いし、開口一番。
「あれー、イカワ丸い!」
なんと! やっぱりそうか、そうだよね、大きくなったよね私。
子どもみたいに正直な人たちだから全然傷などつかず、むしろ屈託のなさに心から感謝した。だって、あやうく裸の王様になるところだったのだから。
ぽっちゃりじゃない、これは肥満だ。そういえば階段では息が切れるし、片足立ちで靴下が履けないじゃないか。もはや健康的にも非常事態である。
というわけで、ジムに通った。
下げられるハードルは全部下げて、歩いてすぐの範囲で探し、仕事のついでに手ぶらで行ける施設で、いつでも退会できるシステム。素人こそ先生についた方が安全という助言で、思い切ってマンツーマン。
それでも最初は嫌々だ。練習後に出てくるプロテインがまずいとか、ジムのシャンプーが好みじゃないとか、先生が明るすぎるとか、難癖をつけては辞めることばかり考える私。
密かに、自分は〝絶対に〟痩せないという自信があったのだ。世の中には二種類の人間がいる。痩せられる体を持つ人と、持たざる人だ。
なんてぶつぶつ言いながら通う矛盾。
しかし先生は無理をさせない人で、これがよかった。
仕事で食事制限ができないなら、いつも通りでいい。家で運動する時間がないなら、しなくていい。
そう言われると気が楽になって、家でもちょっとだけ気をつけてみようかなと思えるから不思議だ。
といっても、せいぜい一週間に一度、腹筋を10回程度だが。
「あはは。こんな微々たる運動じゃ意味ないですよね」
冗談を言ったつもりで私が笑うと、明るすぎる先生は、ちっとも笑わずに真顔で言った。
「意味は、あります。ゼロよりいいじゃないですか。やらないより、やったほうが一歩でも近づいているということ」
ズキン、とした。これまでの私は、無意識に100以外はゼロだと思い込んでいたのだ。でも、20だって10だってゼロじゃない。意味はあるんだ。
そうとわかった途端、世界は変わった。
トーストを焼く間に一回のスクワットでも、意味はある。一回〝できた〟と思えばうれしくなって、自分を撫でたくなる。
これは運動だけでなく、仕事でも何においても、普遍の真理だと思うのだ。「意味がない」の一言で逃げ、ゼロにしていたことが私にはたくさんあった。
こんなことしたって、と思いそうになったら今は、心の中でこうはっきりと言ってみる。
「意味は、あります」
私の魔法の言葉である。
2020.2.22
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