捨てられない
この夏、およそ十年ぶりに引越しをした。
人間二人分の居を移すだけなのに、引越しとは、なんと学びが多いのだろう。
まず、運送業者に見積もりを頼んだらお米をくださった。
真心だそうだが、岩手県産。はて、うちは秋田のお米を食べている、と伝えるべきかしばし考える。
なぜお米。
各家庭には、いつもの味、好みの銘柄があるんじゃなかろうか?
彼は1キロを何軒分持ち歩くのだろう?
ああ質問したい。でもその滝のような汗を見たら、頭の中で「大人げない」と声がして、黙ってありがたく頂戴する。
引越しの日は三カ月も前に決まった。
毎週末、少しずつ荷造りしよう! と作戦を立てたはいいが、気づけば総崩れ。
モノを捨てられない人が一名、家にいるからである。
十年、箱の蓋さえ開けていなかったようなモノでも、「これ、要る?」 と訊けば、当然のように「要る」と返ってくる。
いや、今まで忘れていただろう、絶対。
学習した私は、一名がいない隙にこっそりゴミ箱へ振り分けるのだが、いつの間にかレスキューされて定位置に戻っている。
思わず笑っちゃう、なんて段階はとうに過ぎ、仁義なき戦いが繰り広げられていた頃だ。
友人にこの不条理を訴えると、彼女はうっとりと言った。
「優しい人なんですね」
モノにも愛情を注いでいるから捨てられないのだ、という。目からウロコだった。
私は、もともとモノが少ないうえに不要品はすぐに手放す。人にあげたり、ウェブ上のフリーマーケットなどリサイクルに出せるものは出し、サクサクとさよならする。
それはモノへの執着がないからだと思っていたのだが、ないのは愛情や優しさだったのかもしれない。
なんて私までうっとりしてはいけない。
新居はコンパクトサイズなのだ。今の荷物量では部屋に収まりきらないのは明らかで、無理に詰め込もうものなら人間が住めなくなってしまう。
私は、なんでも教えてくれるYouTube先生に助けを求めた。
モノを捨てる方法、などで検索すると、「断捨離」「ミニマリスト」といった言葉に変換された答えが返ってくる。
そういう主義でもないんだけどなぁ、と尻込みつつ探していたら、「魔法の言葉があります」と教えてくれたユーチューバーがいた。
モノを手放す時、「気に入って買ったのに」「まだ使えるのに」「もったいない」といった罪悪感を払拭してくれる言葉。
それは「ありがとう」だった。
今までありがとう、とモノに対して言ってみると、あら不思議、このコは役割をまっとうしてくれたんだな、と思える。
申し訳ない気持ちが消えていく。
さっそく家人に伝えたら、僕も魔法を一つ知ったよ、と意外な球が飛んできた。
「使える使えないじゃなくて、ときめくかときめかないか? を基準にするといいんだって」
かくして彼は一個一個「これ、ときめくかな?」 と訊いてくるようになった。
それ自分の気持ちじゃないの? などと答えては間に合わないので、優しくない私は代わりに断言する。
「ときめかない!」
引越しは無事に終わりました。