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二つ目の仕事

「書く」以外の仕事がほしいと、ここ10年ほどずっと考えている。
 きっかけは写真家の文章だ。
 雑誌でも本でもウェブの記事でも、私が「いい文章だなぁ」と思うと、執筆者が写真家や建築家、デザイナーだったりする。

 普段、書く仕事を生業としていない人の文章は自由で、無邪気で、ずるいくらい魅力的。
 なぜだろう?
 分析してみた結果、二つ目の仕事だからではないか、という仮説が生まれた。

 負けられない戦いの本業とは別に、もう一つ、脳みその別の領域を使う仕事を持つ。すると必死になり過ぎずに済むというか、風通しがよくなるのではないか。
 相互作用で、本業の方もさらに輝いたりして?

 先日、写真家と料理家がオーナーの飲食店を取材した。
 副業を持つ心持ちについて、写真家は、サッカーのPK戦に立つゴールキーパーに例えた。

「シュートを防げなくたって、あんな状況では入って当然だから誰も責めはしない。でも、もし防げたらみんな飛び上がるほど喜ぶでしょう?」
 失敗して当然、成功すれば大ラッキーというわけだ。ゴールキーパーの方々、じゃあ、あのヒリヒリする場に立ってみろよと言うなかれ。ものの例えです。

 ともかく私はすとんと腑に落ちた。もうちょっとのびのびとできたら、眠り続けている才能が目覚めるかもしれないぞ。
 ところが肝心の、のびのびできる何か、が未だ見つかっていないのである。

 もともと私は、自分のやりたいことがずっとわからなかった人間だ。
 書き手になったのは、わからないならとりあえず歩いてみよう、と考えたから。
 遠い先の「やりたいこと」「なりたいもの」がないならば、目の前の「なんか気になる」に向かって歩いてみる。歩き出せば風が吹く。風が吹けば、自分が想像もできなかった場所に、自分が運ばれていくこともある。
 そうして着いたところが、食の人について書くという、今の仕事だった。

 二つ目の仕事を探し始めて以来、少しでも気になったあれこれを試したこともある。
 映像作家の講座に申し込んだら、本業で長期の海外出張が入り、授業に半分も通えず落ちこぼれた。
 飲食関係のイベントを手伝ったら、悲しいほど臨機応変能力が低かった。

 それでもまだ、私はあきらめていない。
 今、コロナ禍を経て、副業を持つシェフが増えている。といっても多くは、レストランがコーヒースタンドを営むとか、パン屋がクラフトビールを造るとか、飲食の範囲内で別ジャンルに挑むパターン。
 だが、中にはまったくの異業種、たとえば金融系の仕事を始めたシェフもいる。

 その理由があまりにも純粋で、切実で、私は胸を打たれた。

「僕はレストランが好き。ずっと料理人でありたい。たとえどんな時勢になっても続けていく、そのための副業です」
 世知辛いことを言えば、出版の世界も雑誌が減り本が売れず、なかなかに困難だ。
 天が与えるタイムリミットまで文筆業を続けていけるよう、さて、二つ目の仕事は何にしようか?

 ここで、また振り出しに戻る。 


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