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力を抜くって難しい

1日じゅう、座りっぱなしにもほどがある仕事ゆえに、腰を痛めて整体院へ這って行った。
「まずはリラックスしてみましょうか。体の力を抜いてぇー」
施術台で仰向けになった私の片足を、先生が90度に持ち上げて左右にゆらゆら揺らした。

「抜けませんねぇ。リラックスです、リラーックス。ふうー」
口調がだんだん催眠術がかってくるものの、まったく腑に落ちない。私はさっきからずっとリラックスしているのだ。
「先生、力抜いてます!」
すると先生は私の足から手を離し、ほら、と笑った。力が抜けていればパタリと倒れるはずの足が、立派に自立していた。

力を抜くということは、案外難しいらしい。
なぜなら人間は、力が入っているという事実に、気がつきにくいからだ。
そういえば、ピアノの発表会で「全然緊張しないなぁ」なんて言いながら、指は回らないわ楽譜は飛ぶわでさんざんの結果だった小学生の頃から同じだ。

いつも通りのつもりの心と、そうではない体は、いつもちぐはぐ。
それでも本人に「緊張している」自覚があればどうにかできるものの、「大丈夫」と思い込んでいるから厄介なのだ。

力みとか、自覚症状のない緊張は、大体がいつの間にか体に忍び込んでいる。
以前、若いが優秀なソムリエに、尊敬するお店を訊ねた時のことだ。
彼は高名なレストランではなく、商店街の庶民的な焼肉店を挙げた。肉の銘柄や等級も特別なものではないが、信頼できる肉の管理、お母さんの目配り気配り。

安心して心を緩められるから、「おいしい」や「幸せ」の感度を全開にできるのではないか? と彼は分析した。
「スポーツ選手は、リラックスすることで能力を最大限に発揮すると言いますよね? 食でもそういうことがあるのかも」

いや、スポーツや食だけでなく、人や社会との関わり方などあらゆることに通じるはずだ。現に整体の先生だって「筋肉と心は共通する」と説いている。

ほどよい緊張感なら良薬になるとしても、過ぎたる緊張は身も心もかたく閉じさせる。
それは「構える」と似て、人間が身を守るための本能だ。かたい心のままでは、やがて狭い世界で孤立してしまうだろう。
緩めなければ見えない視野や、キャッチできない信号が、世の中にはたくさんある。

だが残念なことに私たちは、自分がすでにかたくなっている、とはなかなか気づけない。整体院で疑いようもなく自立した私の足のように、実際に手を離してもらわなければ、自分の力みを認められない。

ということは、「私は今、かたくなっているんじゃないか」
と、何かにつけて自分を疑ったほうが、人生の選択肢は増えるかもしれない。年を重ねたらなおさら意識して頭をほぐし、感度を全開にしておきたい。

自分が正しい、と思い込んでいないか? 
それしか道はない、そうでなければならぬと閉じてはいないか? 
予想外に拓ける道があるならば、一人では想像ができないから予想外なのだ。

なんてぼんやり考えるうちに気が逸れたのか体の力は抜けていて、整体の帰り道は嘘みたいに腰が軽かった。

秋田魁新報 2023年11月25日

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