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そう決める 2020.9.26

 東京で、三つ星レストランのシェフを取材した時のこと。睡眠時間が決まっているというので、なんとはなしに聞いてみた。
「今はきっちり6時間。以前は4時間15分だったんですが」

 へえー! と固まってしまった私を見て、シェフは続けた。
「やはり睡眠時間が少ないのは、体によくないですよね」

 いえいえ、そこじゃないです。15分のところです。「きっちり」が想定外に小刻み過ぎて。

 しかし彼には私の驚きが、驚きだったらしい。その数字は眠りの深い浅いから目覚めのベストを計算した「必然」だから。

 彼の行動は一つひとつ、とことん考え抜いて決められており、そうして決めたことを、変えずに続ける。
 日常生活の全てにおいてそう。たとえば朝食なら毎日同じメニュー。ヨーグルトの銘柄と分量、目玉焼きの個数と焼き加減さえも、である。

 なんのためかというと、ただただ料理を「創る」ため、その仕事を続けていくためである。

 先に歯を磨くか、朝食を食べるか? なんて迷う時間がもったいない。そこに遣う分まで全部の時間を料理という一点に集中させたい、少しでも一皿の精度を高めたい、という発想。

 そのくらい、必死なのだ。

 人より抜きん出る人というのは、誰よりも強い意志で求める人なのだなぁ、と深く感じ入りながら、私は自分を振り返る。

 年がら年中、迷いっぱなしだ。
 朝起きて、朝食は何作ろう? と冷蔵庫の扉を開けてぼーっと眺め、電気代まで無駄にしている。
 コロナ太り解消に運動でもしようか、いややっぱり仕事が先だ、じゃあ運動はいつ? まあとにかく今日は〆切だから。

 そんな風に頭の中の部屋には選択肢が散乱していて、いちいちつっかかっては転びそうになっている。
 もしもルーティンを決め、時間と思考を原稿に注ぎ込んだら、もっといい文章が書けるだろうか。書ける気がする。

「そう決める」ことで考えずに済む、煩わしさから解放される、ということはあると思う。

 髪の毛を切らなくちゃ限界なのに忙しいし、美容院どうしよう? という悶々からは、定期的に日を決めることで解放される。
 いつも余計な仕事まで振る人に、「なぜこんなこともしなくちゃいけないの」とジリジリするより、「できるんだったら、する」と決めてしまったほうが自分が楽になる。

 決めるということは、選択肢に振り回されない、という意志でもあるのかもしれない。

 ずいぶん昔、農家のお母さんが嫁いで30年、子どもたちも成人して、やっと今、自分自身の夢を追うというドキュメンタリーを観たことがある。

 農業と家事、子育てを淡々とこなしていた人生。
 家族の誰もが、お母さんに夢があるなんて知らなかったそうだ。

 その話を先輩にすると、男女雇用機会均等法とともに世に出て、男社会と闘ってきた彼女は「女ばかりがなぜ我慢するの」と憤った。

 それはそうなんだけど、でも、お母さんは曇りのない顔でこう言ったのだ。
「夢はひとまず全部やってから。そうしようって決めたから」
 私は、なんだかものすごく、お見事だと思った。


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井川直子 naoko ikawa
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