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書くこと、思い出すことの是非を考える。

久しぶりに机に向かっている。


一昨日、タイミングが重なりたくさんのお客様から連絡が来て驚いた。

私のお客様は本当にいい人たちばかりで

後任の後輩から引き継ぎ挨拶がいくと逐一報告してくださる方が多い。

本当にありがたいことです。

今回もそんな具合かな、と思っていたら私を心配しての連絡だった。

怠けていることが申し訳ない。

だから今日は更新するのだ。

いつだって私の行動のきっかけは他人である。

反省せねばならない。




先々週から就活は少しずつ再開しています。

と言ってもまだ1社のみだけど。

前職の時の話をしている私の顔は、マスクをしていても

ニコニコしているのがわかるらしい。

目がキラキラしていると言われると、

ああ、やっぱり私は保険の仕事が好きだったんだなと思う。

今夜は来週受ける面接のエントリーシートを書いていたのだが、

なんというかもう、オキシトシンが耳から漏れてくるんじゃないかと思うくらい幸せな気持ちになる。



しかし最近考えることがある。


この回顧録はお客様はもちろん、同僚をはじめ同じく外交員をしている方や、

これから就こうと思っている方などに何かしら伝わるものがあればと

書き始めたが、自分の心の整理にもなると思っていた。


いつか書き終えたとき、本当の意味で過去になり、

新しいなにかが開けるのではないかと。


しかし思うに、

いや、書けば書くほど、過去に執着しているのでは?




一個人として厄介な思想と感じている

「あの時はよかった」とかいう懐古主義というか

「俺は昔はこうだった」とかいう武勇伝というか(今のところよくないほうの武勇伝だけど)

そんな沼にはまってないかと不安になった。


大丈夫?大丈夫か?私自己陶酔してないか?と

考える。


だから先週のカジュアル面談でも伝えた。

「不安なことはありますか」

と聞かれて

「正直あまりにも猛烈になっていたので、次どんな仕事に就いたとしても、前職ほどの熱量を持って取り組めるのかが一番不安です」

と。

やる気がないととられても仕方がないような発言である。

しかし

「年相応の熱量があるので大丈夫です。むしろ若い時のままの勢いでこのまま年を重ねるとちょっと煙いので(笑)」

と笑われてしまった。

そりゃそうか。



もう一つは、今のところお客様も同僚も読んでいただいているようなのだけど

辞めた人間の存在がいつまでもチラついていていいのか。


全く気付かなかったのだが、私の営業スタイルはお客様との距離が

かなり近いので後任の人の中には「私にはできない」と

ナーバスになってしまう人もいるようだ。


自分もいろいろな先輩の契約を引き継いだことがあるが

なーんにも気にしていなく、むしろ

加入のきっかけは必ず聞くほどだ。

それが自分の知っている先輩の契約ならば

自らお客様に先輩とのエピソードを聞いては

「へぇー先輩にもそんな時期があったんだぁ」

などと楽しんでいたので今考えたら能天気丸出しだなと

笑ってしまった。


人にはそれぞれやり方があり全然気にすることはないんです。

そう言い切らないと、私がつらい。

だってこれからも

そんな図々しいことやってきたんかい!空気読めよ!

と思われるようなことを書くのだから。


そう、結局書くことはやめない。

連絡をくれた編集者くんも更新がんばっている。

刺激をもらった。


次回は何を書こうかなぁ。

もしサポートいただけたら生保業界事情のご質問にお答えしますのでご記載をお願いします。