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演奏は、身体の周波数、脳波の調整。

過去、2020年8月29日のFB投稿を転載します。

私は作品を解釈する時、演奏する時、
自分をどんどん無くし、身体の感覚も消してゆきます。
日々の練習は、そこに到達するための練習です。
無になると、沢山の物が流れ込んでくるからです。
人とお話する時、何かを観察する時も同じです。
まずは自分の解釈を入れず、
ただ聴く、受け取る、これが最初です。

そして、その流れ込んで来たものを把握し、
今度はその「周波数」に、自分を合わせてゆきます。
すると、ラジオの周波数があった時の様にクリアになり、更に情報が流れ込んできます。
心、感情、作家の脳の状態、風景、匂い、温度、手触り、身体感覚、その骨格など。

それらを記憶して、今度はそれを音としていつでも出せる様にしてゆきます。
周波数は0.1Hz?違うだけでも、もう他のものになってしまうので、
「その幾重もの微細な違いの周波数に、瞬間的にいつでもいける」という訓練が、日々のピアノの練習です。

それらは、脳波を変えることでもあります。
瞑想の脳波と似ているのではないかと思います。
これが便利だなと思うのは、
普段その訓練をしているので、
気分を比較的いつでも、その状態へ自分を持って行ける事です😊
なのでストレスに潰される事があまりありません。
繋がりたい「聖所」、周波数をいつも心に置く事を忘れなければ、そこと繋がります🌼
それは、筋トレと同じように、訓練で誰でも得られる事です。
これは、「舞台で弾く」という事と全く同じであり、そのものだからです。

例えば、音楽の中では、光も魔も、喜びも哀しみも、コロコロと同時に現れてきます。
深い深い哀しみは、涙が止まらなくなります。
そんな哀しみもあれば、大きな大きな包み込む愛情もあります。
演奏というのは、それらに
0.1秒でフォーカスしアウトプットする、
その周波数を切り替える訓練を、毎日ピアノでしている訳です。

そして、それらをさらに俯瞰し、
流れを見て統合、設計し、向かうべき方向を定め、
調和させる事が「音楽の演奏」です。

そこに身体という物質も協力できるよう、
自分の身体を観察する必要も出てきます。

脳の観察と、体の観察。
どちらも大前提として「快」を十分知っている事が
大切な事だと思っています。
それは赤ちゃんの時、皆持って生まれているもの。
「快」は基本的に、私達に授けられた「正解」です。
そこにまず素直に在る事がスタートで、
そこからスムーズな動きを得てゆきます。

脳においては、練習中、少しでもクリアでなくなる箇所を見逃さず、そこをゆっくりと順を追って、道筋をつけてあげます。
体の方も同じく、どんなに弾けていても僅かに硬くなる(背中や首)部分を見逃さず観察し、
その演奏部分で止まって、身体をそこへstayさせ、楽に芯と脱力のみで居ることに馴染ませます。

人間のその「快」の感覚のため、小さな瞬間的な不協の場所で、
その不快な音を避けようと0.1秒速くなっている事も多く。
その「不快」に対して、そこに留まる様に、
それも味わう様に、逃げない様に
身体に安心させて教えてゆきます。

その様に、音楽は、「不快」も問題ではない、
「快」とのコントラストに過ぎないこと、
調和の中の1つである事を教えてくれます。

まだまだ沢山あるけれど、、
長くなるので今日はここまでにします😊

そんな訳で、古武術家さんのお話は
演奏とも繋がる事が多く、
心にスっと入ってくるのです😊

☘️

サイマティクスの動画を添付します。
周波数は、私達を動かす。形を決める。
心に置く周波数が変わると、私達は簡単に変われる😊🌿
周波数を出すことが、演奏😌



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