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ゼロから始める⑨ 出会い 始まり

人生において
私は人との関わりをとても重要だと
思っててね
人との出会いって必然。そして
自分自身が創り出していってる
そして
出会うことのできた全ての人との
関わりが
自分の人生を変化させ創っていく
と思ってるんですよね

でも
中でも
この人と出会ってなかったら
今の自分は確実にないと
心底から思う人って
何人かいるでしょ?
→全ての人との出会いがそうなのだけれども
でも中でもってことね

その出会うタイミングは
自分のターニングポイントだったりする

私にとって
この方もその1人で
この方との出会いは
私の人生の
強烈なターニングポイントになりました

それが
前回の記事で中川吉右衛門さんが
「メスを使わないブラックジャック」
と紹介してて
私が絶望感でいっぱいの時に
藁をもすがる気持ちで
山形まで会いに行った先生

宮島充史先生

ちなみに
宮島先生のNOTEはこちら
→ みやじまあつし〜生命を書き綴る〜|note


今から約8年前
あの日のことはね
昨日のことのように強烈に思い出します

その日は癒楽の営業を少し早めに上がり
最終の新幹線に飛び乗り
山形の置賜まで
新幹線の中
初めての土地へ
久しぶりの遠出
何が待ってるのかわからない
なんとも言えないドキドキ感で
山形の置賜駅についたら
なんと、、、

迎えに来てくれたオサムくん(当時の吉右衛門さんのお弟子さん)の軽トラの助手席に乗せてもらい吉右衛門さんの家までの道

バケツをひっくり返したような雨風に
ワイパーがフルで動いていて
周辺には灯りらしきものは一切ないので
視界は真っ暗
耳から入る音は
ワイパーの音と窓ガラスに吹き付ける
土砂降りの雨と風、、、そして雷⚡️

吉右衛門さんの家までは
どのくらいの距離かもわからない
オサムくんとは初対面
会話、、、一切なし ですよ

軽トラでの時間
めちゃくちゃ長く感じましたよね🤣

40?.50?分くらいかな?と感じたけれど
翌日、駅まで帰る時に
家から駅までの余りの近さに
本当びっくりした
徒歩で5分くらいのところでしたからネ😅


そんなこんなで
やっと!な感覚で吉右衛門さんの家に着き
家におじゃますると

部屋の空気もビリっと張り詰めていて
誰も話しをして無く
外の雨と風、そしてたまに雷が混ざった音が
響く部屋の中
袴姿に髭顔の眼光鋭い方が
吉右衛門さんのお母様の治療をしていたんです

着いていきなりの
その光景に圧倒されて
そして吉右衛門さんのお母様の
数分での変化を目の当たりにし

その瞬間に私も雷に打たれたように
思った

ヤバイ!!!これは
見つけたかも!!!

そして
その後、みんなでご飯を食べに行こう
ということでご飯へ
吉右衛門さんが
先生と話したくて
せっかく東京から来たんだし
目の前に座ったら?
と私の席を先生の席の前にしてくれたけど
その時点で
圧倒されてしまってたので
頭の中真っ白
聴きたいなと思ってたこと
沢山あったはずなのに
何も出てこないわけ😂


で、たぶん
その時の私は
治療の出来る人になりたかったので
先生にどうしたら治療が出来る様になりますか?
的な
なんともよくわかんない質問をしたような
あんまりハッキリ覚えてはないのだけど

でも、その時に先生から言われたことだけは
はっきり覚えていて

「僕はこの世から治療家を無くしたいんですよね」

とおっしゃってたんですよね

その当時、治療家になりたい!と思ってた私にとっては衝撃で、とにかく、なんで??
だって、そもそも先生、あなたも治療家でしょう?どういうこと?😂って
頭ん中謎だらけ、一晩で頭の中が
?マークで溢れかえった

そんなこんなで
翌日、治療会
見学させていただけることになり
何人くらいかな
12.3人?観させて頂きました

この時ね
観させて頂く中で
何が何だかはさっぱり分からないけれど
一つだけ分かったことがあって

どうやら
私がこれまで観てきて知ってきたことは
まあ針の穴くらいの範囲のことだったんだ
ということと
まだまだわからないこと、知らないことだらけで
今回「壁」にぶつかった
と思っていたけれど
そりゃあ、当たり前なことだったじゃん
と思ったんです
そして一つの光がさした感覚がしました

そして、この日
私は
心に決めた

とにかく、何が何だか分からないけど
この先生についていこう
この先生が観ている世界を感じている世界を
これまで、私一人では
知りえなかった世界を学び、勉強していこう!!!!




私の隣の袴姿の方が
宮島先生です😊


そうなんです
ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが
私は、一度決めたらとことんで

この時から
先生が行くところ行くところに
ご一緒して
何をどう観てどう感じているのか
「見て学ぶ」ことを始めたのです

それはねもう

住み込みで弟子入りしちゃいたいくらいの勢いでした 笑

というか
私が男で癒楽を経営していなければ
そうしていましたね 笑

だって
何気ない日常の方が先生がどこを観ているかが見えやすいし
何気ない会話の中にたくさん得ることが散りばめられていて
先生が何を観ていて何を感じていてとか
感じやすいと思ってたからね

とはいえ、何が何だかなんて
どこから学んでいけば良いのかも
わけわかんなかったけど😅
とにかく
喰らい付いていったんです


でもね

先生から学んできたこの8年
初めは
想像を超えた領域すぎてね
雲を掴むような途方もない感覚
知れば知るほど
自分の無知さと存在の無意味さみたいなことを
思い知らされる感覚で
自分なんて
宇宙の中の本当にちっぽけな存在で
何の役にも立たない塵みたいな存在でしかないと
思わざるを得ない感覚に何度も襲われていきました

でも
その度に悔しくて悔しくて
必死になって
知識を入れては
知識ではないと
またバッサリと叩きのめされの繰り返し

そうそう
先生がね「知識は入れたら捨てる」という言葉も
おっしゃっていたのです
この言葉も最初はホント理解不能でした 😅
だって
知識って使うために覚えるんじゃないの??
捨てるって
そしたら何のために覚えんの〜??ってね 笑

今はこの意味がよくわかりますし
実際、意識してませんが
そうなってますよね 
面白いことにね 笑 


あのころは
必死に喰らい付いてはバッサリと叩きのめされを
繰り返しているうちに
認めて欲しい承認要求が
どんどん強くなっていってたんだと思います 😅
だから
更にどんどん食らいつくし 笑

今、思い返しても
本当に、、よくね
こんな感じだった私と先生は
呆れることなく?ここまで関わってくださったと思うと
感謝でしかないです😅

先生と出会ってからのこの8年も
いろんなことが、本当に色んなことがありました
その中のエピソードは
、、、、、
また、どこかで書くかも??デス😄

そう。今もね変わらず
あの頃とは全然違う感覚でですが
学ばせていただいてます

学ぶということ自体も
あの頃とは
全く違う感覚になってますが
なぜ、あのころあの状況になっていたのか
そして、なぜ今は違う感覚にいるのかすらも
今は、はっきりと言語化できます
渦中にいると
自分を見ることができなくなる
のですよね〜

そんな感じで
とにかく打ちのめされっぱなしで
どんどん心がすり減っていってても
やっぱり
諦めることが頭には一ミリも浮かばなかったのは
承認要求からということも大いにありましたが

もう一つ思うのは

やっぱり

「ホントのところ」が知りたい

この道を進むことになった時の行動の源となった思い
初心というかね
この探究心が私の根底に根強くあったから

なんでしょうね

宮島先生との関わりの中で
必ず見つけることができる!!!
という
この衝撃的な出会いの日に
理由もないけど感じた直感

自分の直感を信じ続けてきてたからなのだなと
今ならそうも思えます


これが
私の施術家人生を大きく変える衝撃的な出会いの簡単なエピソードです😄


やっぱりね
思うのは

人の「思い」根っこにある原動力というかね
その「思い」が
出会いすらも引き起こすのだなと
思うのです

私の中に「ホントのところが知りたい!」という思いがなければ
出会えたのは宮島先生ではなかったと思うのです

そう考えていくと
人と人との縁の繋がり方にしても

本当に「お見事!」だとつくづく感じます😄


今回はこの辺りで
次回は、、、

宮島先生とのご縁から更にご縁をいただいた先生方のお話を
書いていこうかな
と思います😄

ここまで読んでくださり
いつもありがとうございます♡

尚子











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