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人間というこのちっぽけで深い存在〜【Stage】深作健太演出『ブリキの太鼓』

 ノーベル賞を受賞したドイツの作家ギュンター・グラスが1959年に発表した長編小説『ブリキの太鼓』。1979年にはフォルカー・シュレンドルフが映画化して話題となったが、ドイツではオリヴァー・レーゼの脚色で2015年からベルリナー・アンサンブルで一人芝居として上演されている。今回、深作健太がこの一人芝居を、葉山昴・大浦千佳・宮道大介の3人による日替わり主演で5日間にわたり上演した。大川珠季による新訳で、もちろん日本初演である。

 1924年、自由都市ダンツィヒ(現在のポーランド、グダニスク)に生まれたオスカルは3歳で身体の成長を止めてしまう。そのオスカルが見た家族や社会の姿を描いた作品で、まだオスカルが生まれる前、彼の祖母が妊娠した日から始まり、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を経て1945年に戦争が終結するまでの激動の時代を描いていくというもの。私が見たのは大浦千佳の出演回。

 オスカルの独白によって物語は綴られていくが、時にそれは彼の母に、父(かもしれない男と父ではないかもしれない男)に、ブリキの太鼓を売っている街の玩具屋に、オスカルが出会ったサーカスの師匠に、さらに物語を俯瞰から解説するナレーターのような存在へと視点が移っていくが、大浦はそれを声の色合いや声量、テンポやリズムによって見事に演じ分け、まったく不自然さを感じさせない。その演技力(という言葉が適切かどうかわからないが)に終始、圧倒されっぱなしだった。

 舞台の上方には皮が破れたブリキの太鼓がぶら下がる。装置は何もなく白い椅子とマイクだけが置かれた舞台。椅子はベッドになったり階段になったり、時には女の身体にもなる(オスカルが身体の下に潜り込んで局部に手を入れるシーンがあるのだが、椅子が蠢く女体のようにみえたのはすごいとしか言いようがない)。このマイクと地声との使い分けも見事で、劇が進むにつれて、それがオスカルの外側で起こっていることなのか、彼の内側の声なのかが伝わってくる。

 特に印象に残ったのは、ナチス・ドイツが政権をとるというシーン。「90%の国民の支持を得てヒトラーが総統になる」というセリフが突き刺さる。独裁者は史上最初の民主主義憲法といわれるワイマール憲法下で、国民の投票によって、正々堂々と誕生したのだ。そしてそれは、現在の日本の状況に重なりはしないか。運命の参院選は2ヶ月後だ。ここで与党が圧勝すれば日本はこの時代のドイツのようになるかもしれない。コロナ禍により偶然この時期の上演になったとはいえ、深作の問題意識は明らかだろう。

 舞台上には役者である大浦の他にもう一人、深作組ではお馴染みの西川裕一がいて、劇の進行に合わせてその場でシンセや何種類もの楽器をその場で演奏し、また効果音も担当する。西川の音響と音楽は非常に雄弁で、まるで「音」と「役者」の二者による芝居のように感じられた。また、南香織の照明も非常に効果的だった。新宿のサンモールスタジオという非常に小さな空間での上演だったが、この空間の大きさが逆に芝居で語られていること、語られていないことを感じさせるのに最適だったと思う。終演後のアフタートークで深作が「この場所でやりたかった」と語っていたのも大いに頷けるところである。

2022年5月13日、サンモールスタジオ。

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