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「歌曲」が生み出す3つの情態〜【Concert】日本リヒャルト・シュトラウス協会特別演奏会 森谷真理ソプラノ・リサイタル

 非会員も参加できる日本リヒャルト・シュトラウス協会の特別演奏会。今回はソプラノの森谷真理が、リヒャルト・シュトラウス「4つの歌曲」作品27、ドビュッシー「抒情的散文」、ラヴェル「シェエラザード」を演奏した。ピアノは河原忠之。

 森谷が類まれな歌手であるということは、これまでに聴いたいくつものオペラやコンサートでわかっていたつもりだったが、今回、その恐るべき才能に新たに驚かされることになった。「歌曲」とは、それぞれの「言語」と「音」とが分かち難く結びついているだけでなく、その「言葉」の指し示す世界を「音」がどのように表現し得るのか、ということを各々の作曲家がその流儀によって示したものということができる。ドイツの詩人によるテクストに作曲したリヒャルト・シュトラウス、自らがテクストを書いたドビュッシー、そしてフランス語のテクストに作曲したラヴェル。三者の作品がまったく別のすがたをもっているのは当たり前なのだが、森谷はその情態を見事に描き分けてみせた。

 リヒャルト・シュトラウスの歌曲は「詩人」である。言葉の意味の連関に重点を置いた音楽は何よりも詩の音楽化にほかならない。ドビュッシーの歌曲は「画家」である。言葉は輪郭を伝えるのではなく、響きという色彩に置き換えられる。そしてラヴェルの歌曲を演奏するものは「俳優」となる。言葉が導き出すドラマをただ歌によって演じなければならない。

 このような描き分けは、ただ言語に長けているとか、音符に記されたものを再現する能力とか、そんな程度のことでは到達し得ない。作品の内実を的確につかみとり、それを自らの身体によって表出し、さらにそこに強い説得力を持たせることができる「才」をもっていなければならない。

 そして類まれな歌手には類まれなピアニストが必要だ。河原忠之こそ、森谷が発見したパートナーなのだということは、当夜の演奏から十分に伝わってきた。歌い手をリードするとか歌の伴奏というレベルを超えて、ふたりの「才」がともに創り上げた世界。「歌曲」というものの「ありうべきすがた」を示してくれたふたりには絶賛以外の言葉がない。

2021年6月3日、サントリーホール ブルーローズ。

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