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まるでヴェリズモのような生々しい「ドラマ」〜【Opera】TRAGIC TRILOGY Ⅰ 『椿姫』

 Hakuju HallでスタートしたTRACIG TRILOGYは田尾下哲演出、ソプラノ・青木エマ、テノール・城宏憲、バリトン・大西宇宙の出演、園田隆一郎のピアノ伴奏で3つの悲劇のオペラを上演するという企画。第1回の演目はヴェルディ『椿姫』。
 舞台上にはソファとテーブルが置かれたほかは何もない。ピアノは下手側に設置されている。物語はまずアルフレードの回想から始まる。ここで彼が手にしているのはヴィオレッタが残した日記で、彼はヴィオレッタの臨終には立ち会っていないことが明かされる。つまりこの舞台、骨格はオペラの原作となったアレクサンドル・デュマ・フィスの小説に基づいているのだ。ヴィオレッタの死に目に会えなかった後悔に苛まれるアルフレードの回想として物語は始まる。
 この枠組みを設定した以上、問題となるのは第3幕である。この幕は、死の床にいるヴィオレッタのもとにアルフレードが駆けつけ、ふたりの二重唱によって物語が進んでいくからだ。第3幕が始まる前に再びアルフレードが日記を手にし、最後のページを書いた二日後にヴィオレッタが亡くなったことをもう一度告げた後、「一体彼女の死はどのようなものだったのだろうか」とつぶやく。その後、舞台上にヴィオレッタが登場。すべてはアルフレードが第三者から聞いた話、として進行していくのだ。だからヴィオレッタが死の床でアルフレードに会ったのは彼女の”妄想”であり、そこで歌われる歌や聞こえてくる声はすべて彼女の”妄想”の産物、ということになる(もちろんジェルモンも)。だから舞台上でアルフレードが歌うシーンでも、ヴィオレッタとは視線を合わせることはなく、伸ばした手はすれ違うばかりだ。
 この『椿姫』における「悲劇」とは、ヴィオレッタの一生に一度の真実の愛が叶わなかったということではなく、愛する人から見放され、信じる人もいない場所でたったひとりで死んでいかなければならなかったことなのだ。それはもちろん彼女が「娼婦=道を踏み外した女」だったからであり、「La Traviata 道を踏み外した女」としての悲劇は、アルフレードの腕の中で死んでいく元々のオペラの筋だてよりも一層際立つ。

 この「悲劇」を引き起こす人間ドラマこそ、田尾下哲が描きたかったものなのだろう。とかく「典型的なメロドラマ」と捉えられがちな『椿姫』を、田尾下は人間同士の生々しい感情がぶつかり合う正真正銘の「ドラマ」としてつくり直した。
 たとえば第1幕で愛を告白した後で出て行こうとするアルフレードにヴィオレッタが椿の花を渡し、「これが枯れた時にもう一度いらして」という有名なシーン。椿をもらったアルフレードが喜びながら舞台を後にするのだが、ヴィオレッタの長大なアリアのあとで彼は舞台上に駆け戻ってきて、ヴィオレッタは彼に抱きつくと二人で退場していく。初めて人を愛する気持ちを知ったヴィオレッタの舞い上がるような喜び、ヴィオレッタへの愛に貫かれているアルフレードの情熱。「愛」というものの温度、その熱を感じさせてくれる見事な幕切れだった。
 あるいは第2幕、ヴィオレッタに裏切られたと絶望するアルフレードをジェルモンが「プロヴァンスの海と陸」を歌って慰めるシーン。これまで私は、自分の策略で恋人たちを引き裂いた男が歌う歌にしてはあまりにも美しいメロディに、どこかしらけた気持ちを禁じ得ないことが何度もあった。だが今回のジェルモンは、悲嘆する息子を見て一瞬戸惑い、自らの引き起こした事態に早くも後悔の色を見せながらも、どうにかして息子を取り戻したいという焦りの中でこの歌を歌った。その後、それでもヴィオレッタを追いかけて行こうとするアルフレードをジェルモンは殴りつける。決して清廉潔白な人間ではない、むしろエゴの塊でありながら、ただ息子を愛している一点だけで行動するジョルジュ・ジェルモンという「人間」の生身の顔を見せてもらった気分だ。

 こうした生々しい感情表現が、歌とそして「行為」によっても提示されることで、この作品がヴェリズモ・オペラのように感じられたのも面白かった。正直、初めに『椿姫』を田尾下哲が演出すると聞いたとき、一体この作品にどんな新しい解釈が可能なのだろうかと疑問に思ったのだが、田尾下は「新しい解釈」ではなく、この作品に内在する「人間の現実」を見事にえぐり出してみせた。それは、登場人物を3人に絞りこむことで可能にしたといえるだろう。演出家・田尾下哲の手腕である。

 無論、それを可能にしたのは3人の歌手たちの力である。青木エマはその容姿と演技力をフルに活かし、通常のオペラよりも演劇的な舞台における「タイトルロール=中心」を堂々と演じ切った。ただ、口の先の方で響きが造られるために時々金属的になるのが残念。技術はあるので、もう少し深いところで響きを作るようにすればもっと良くなるだろう。城宏憲はいちばんセリフも多く、実に大変なアルフレードだったと思うが、その歌唱力と演技力で大いに観客を惹きつけた。惚れ惚れするような艶のある美声は健在。これはテノールあるあるだが、最初から最後まで全力投球だったのが少し気になったので、次回までには緩急のコントロールを磨いてほしい。3人の中でいちばん驚いたのは大西宇宙で、元々良い声の持ち主であり歌唱力もあるのは知っていたが、さらにそれに磨きがかかった感じだ。園田隆一郎はピアノと音楽監督を務めたが、指揮者として作品に精通している彼でなければ務まらない役割だろう。今後の歌手の伸びは園田にかかっているといっても過言ではない。次回はプッチーニの『トスカ』だそうだが、園田がどのように音楽をまとめ上げるのかにも注目したい。

2021年12月10日、Hakuju Hall。

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