【Opera】METライブビューイング『マノン・レスコー』

マノン・レスコーとは、いったいどんな女なのか。第1幕、マノンは生まれ故郷から長旅を終えてアミアンに到着する。しかし「田舎出のおぼこい娘」という表現はまったく似合わない。なぜなら彼女は誰もが振り返る目のさめるような美少女であり、兄に付き添われてやってきた理由が修道院に入るためだからだ(おそらく田舎でも多くの男に目をつけられていたのだろう)。この時のマノンは、まだ「恋に恋する無垢な少女」である。彼女に一目惚れしたデ・グリューを逃避行へと駆り立てたのは、彼女自身の罪ではない。罪があるとしたら、それはマノンの突出した美貌だ。だが、私たちはここで気づく。その美貌と同じくらい危険なのは、彼女の「無垢さ」ではないかと。親の言いつけも、兄の監視も振り切って初めて会った男と逃げ出すことが、どんな結果を生み出すか想像もしないその「無垢さ」が、きっとこの先何か大きな悲劇を生み出すに違いないと予感するのだ。

案の定マノンは、貧乏なデ・グリューを捨て、金持ちのジェロントの愛人となる。これを彼女が「スレた」と考えるのは当たらない。おそらくマノンは考えたのだろう、「なぜ美しくチヤホヤされていた私がこんなみじめな暮らしをしなければならないの」と。そうしてパリで愛人生活を送るうち、今度は別の悩みが彼女を襲う。「なぜこんなにお金があるのに満たされないの」。アリア「この柔らかなレースの中で」はそうしたマノンの「満たされなさ」を表している。しかし彼女の頭はそれを掘り下げて考えることはしない。なぜなら彼女はどこまでも「無垢」だから。捨てられても一途にマノンを愛するデ・グリューがやってきて、再び共に逃げようというときに宝石や衣装を選ぶことに時間をかけてしまうマノンを、そして結局ジェロントにまんまと捕まってしまうマノンを愚かだと斬って捨てる気になれないのは、その「無垢さ」ゆえである。

マノン・レスコーは確かに男の人生を狂わせる「運命の女(ファム・ファタール)」だが、そこに計算された悪女の影はない。彼女はただ、自分の欲望に忠実に従っているだけだ。「欲しいものは欲しい」という子供のような「無垢さ」がまわりの人間を翻弄していくことに自覚的ではない。あるいはマノン自身は一種の空洞のような存在で、そこに男が勝手に吸い込まれていくのだ、といってもいい。

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