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50年、ひとつの到達点〜【Opera】オペラシアターこんにゃく座『あん』

 日本語による自然な発声をベースにした独自のオペラを作り続けてきたオペラシアターこんにゃく座が、2021年に創立50周年を迎えた。その記念公演の最終作として初演されたのがドリアン助川原作・台本、寺嶋陸也作曲、上村聡史演出による『あん』である。2013年に発表された原作小説はロングセラーとなり、2015年には河瀬直美監督、樹木希林主演で映画化もされ高い評価を得ている作品。しかも、代表の萩京子が述べているように、本作はこんにゃく座にとって初めての「今を生きるふつうの人が登場するオペラ」だ(そう言われてみて初めて、こんにゃく座が取り上げてきたのはすべて「昔の人」「歴史上の人」あるいは「架空の人物」だということに気がついた)。これは、こんにゃく座にとって大きな挑戦だったということは想像に難くない。
 果たして、その「挑戦」は非常に意味のあるものだったといえる。正直にいうと、私はこれまでこんにゃく座の歌役者たちについてはいつも、「日本語も聴き取りやすいし、演技力もあるのだから、あとはもう少し歌をがんばってほしい」と思ってきた。もちろん、こんにゃく座の歌唱や演技のスタイルが、いわゆる西洋のオペラの様式とは敢えて違うものを追求していることはわかっているが、音楽そのものが多くの場合西洋音楽をベースに置いている以上、発声が十分でなかったり美しく聴こえなかったりすることがどうしても気になってしまった。しかし今回、『あん』で初めて、歌役者たちの歌唱を納得を持って受け止めることができた。
 特に感心したのは、「セリフで語られるもの」と「音楽で歌われるもの」とが明確に意味をもって振り分けられており、その内容がセリフはセリフの発声、歌は歌の発声でしっかりと伝わってきたことだ。さらに、セリフから歌へのつながりが実に自然だったことも大きな美点だった。
 作曲の寺嶋陸也はこんにゃく座と35年以上にわたり、作曲家として、ピアニストとして、指揮者として共同作業を行なってきた。その経験に裏打ちされているからこそ、こんにゃく座の歌役者たちの持つ個性や表現力を十二分に発揮できる音楽をつくることが可能だったのだろう。また寺嶋は、原作者であり今回台本も担当したドリアン助川の詩に作曲した経験もある。寺嶋なくしては『あん』のオペラ化はなし得なかったにちがいない。

 私が鑑賞したのは2月15日の「どら組」だが、音楽的に強い印象を残したのは徳江役の梅村博美である。映画の樹木希林の印象があまりにも強い徳江だが、梅村の徳江は、少女のような透明感を持った人物として表現されていた。それは梅村の声が、一本の細い絹糸のようなしなやかさと強靭さとを持って響いてきたことによるものだろう。特にラストの手紙の部分では、無垢で純粋で精一杯自らの生を生きた徳江という女性のすがたを、この梅村の「声」が見事に描き出していた。
 今回、主人公の千太郎と徳江以外の6人が場面に応じて合唱を担当したが、このコロスのようなアンサンブルの配分も良かった。特に、美咲・あかり・どんぐりの中学生3人組(順に西田玲子・小林ゆず子・金村慎太郎)は時に狂言回しになったり、千太郎の心を代弁したりと大活躍だった。ピアノとクラリネットという最小限度の伴奏楽器は、音楽に透明性を与えていた。五味貴秋のピアノ、草刈麻紀のクラリネットは抑制を効かせつつ、物語の情感や登場人物の心情表現を的確に表しており、素晴らしいパフォーマンスだったと思う。

 ハンセン病という重い題材を扱った物語だが、ドリアン助川がプログラムに書いているように、人は「この世を感じるために生まれてきた」のであり、そして人がこの世を感じることで「この世は祝福に値する」ものになるのだという、あらゆる芸術作品に通底するテーマこそこのオペラが本当に描きたいものだろう。命はただそれだけで存在する価値がある。歴史は、人間が命を選別する愚を痛烈に批判している。この世がどんな命にとっても光り輝くものであり続けるために、オペラは、芸術は繰り返しそのことを主張していくのだ。

2022年2月15日、俳優座劇場。

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