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関西流サービス精神の結実〜【Opera】佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021『メリー・ウィドウ』

 兵庫県立芸術文化センターで毎年行われている佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ。今年は、2008年に初演されたオペレッタ『メリー・ウィドウ』の再演が行われた。残念ながら初演時は未見なので比べることはできないが、プログラムには「改訂新制作」と書かれており、セリフなどいくつかの点でブラッシュアップがあったのだと推測される。

 広渡勲の演出は、読み替えや時代設定の移動などはなく、基本的にはごくオーソドックスなもの。舞台にはグランドピアノを上から見た図柄が描かれ、華やかな衣裳は装飾的ではあるものの基本は時代に忠実な意匠が施されている。その上で兵庫という土地柄を活かし、関西文化のシンボルである宝塚歌劇とお笑い界からキャストを引っ張ってくるのも初演時と同じ。ちなみに今回は、上方落語の重鎮・桂文枝がニエグシュを演じた第2部(全体は第1部が第1幕、第2部が第2幕と第3幕という構成で間に1回休憩が入る)の場面転換の時に文枝がちょっとした小噺を披露したり、銀橋(そう、この劇場には宝塚ばりの銀橋があるのだ!)で白い燕尾服調のスーツに身を固めた元タカラジェンヌの香寿たつきが歌を披露したりと、ただキャスティングしただけでなく、ふたりの特性が存分に活かされた演出で客席は大いに湧いた(ただ、文枝はさすがに呂律が怪しかったりキャストの名前を間違えたりしてちょっと苦しかったところも)。ウィンナ・オペレッタが持っている「笑い」の要素を日本に移し替えたらどうなるのか、という課題に、お笑いと宝塚という「関西文化」を全面に出すことで応えた格好であり、これは確かに兵庫ならではのやり方だったといえる。観ていて文句なく楽しい、という点ではオペレッタとしては大成功のプロダクションだろう。

 一方で、音楽面をはじめとしていくつかの疑問点も残る。私が観たのは高野百合絵がハンナを、黒田祐貴がダニロを演じた若手組。高野百合絵は力のある歌手だと思っているが、日本語歌唱に難があったのは残念だった。プログラムにはコレペティトゥールの記載がないしどのような歌唱指導がなされたのかはわからないが、基本的な「日本語の発声」が身に付いていないのか、高音になると母音が曖昧になり言葉が不明瞭になってしまった。歌の部分は字幕が出たが、本来は字幕がなくても言葉はきちんと聴き取れなければならない。ちなみに黒田はその点をかなり意識的に行なっていたではないかと思う。

 『メリー・ウィドウ』というのは、徹頭徹尾「大人の恋のあれこれ」を描いた作品だ。ハンナとダニロはかつて愛し合いながらも「身分の差」を理由に結婚が叶わず、その腹いせにハンナは大富豪の老人と結婚。さらにその老人がすぐに亡くなってしまったために莫大な遺産を相続してパリで「メリー・ウィドウ=陽気な未亡人」として暮らしている。一方のダニロはパリのキャバレー・マキシムで遊び惚けているが、実はふたりともまだお互いへの思いを心の中に隠し持っていて、いつやけぼっくいに火がついてもおかしくない状態。しかしそこは「大人のプライド」というやつが邪魔をして素直になれない。観ている方はいつ本当の気持ちを表に出すのか、ヤキモキしながら成り行きを見守る、という趣向なのだ。この「くっつくのか、離れるのか、離れるのか、やっぱりくっつくのか」という一種の「虚実被膜の間」とでもいうべきものが感じられないと、作品の魅力は半減してしまう。

 その点、高野・黒田のふたりはやはり若かった。再会した瞬間からお互いへの思いをあからさまにしてしまうし、「自分から告白はしない」という言葉にしても「大人のプライド」というよりは「子どものわがまま」にしか見えない。どこか「ハンナとはこういう女性」「ダニロとはこういう男」という「雛型」のようなものが頭の中にあって、それを懸命になぞっているようにみえた。だからこのドラマに絶対的に必要な「色気」が足りない。もちろんこれは、若いふたりをキャスティングした以上、ある程度は仕方のないことなのかもしれないが、せっかく歌の上手い(そして容姿もステキな)ふたりなので、もう少し細やかな演技指導がほしかったところ。またオペレッタにおいて芝居の部分が重要なのは当然のことだが、セリフのやりとりが「笑い」方面にシフトしすぎていたせいか、あるいは台本のせいなのか、シーンごとの繋ぎ方がやや雑で、そのためにハンナとダニロの細かい心の動きがよくわからなかくなってしまった。これも若い歌手にはマイナスだったと思う。

 ところで歌詞に関してだが、野上彰訳(ワルツのみ堀内敬三訳。東京二期会が伝統的に上演している日本語訳詞バージョン)をベースにしてところどころ変えていたように見受けられたのだが、プログラムには「訳詞・森島英子」とのみ記載されている。ここは正確に記載すべきではなかったのではないか。こうした点を曖昧にしたままだとプロダクションの質を問われかねない。また、私の耳には、舞台全体に薄くPAが乗せられていたように聞こえた(同意見も複数聞かれた)。これはもちろん明記する必要はないが、クラシック・ファンの中には極端な「生音信仰」もあるので、誤解を生まないためには会場内に但し書きのようなものがあってもよかったかと思う(ただ私個人としては、特にオペレッタの場合はダンスや演技と音楽のクオリティを同等に保つためにPAを使うのはアリだとは思っている)。

 歌唱面では、ダニロ・黒田祐貴に大いに心を奪われた。その柔らかい美声は特筆すべきものだし、何より歌唱に安定感がある。先程のべた演技面での若さを補ってあまりあるパフォーマンスだったと思う。カミーユはしょっぱなでハイCを出すという大変な役だが、小堀勇介は軽々と高音を聴かせてくれた。カミーユにはいつも不満が残ることが多いのだが、今回は小堀の伸びやかで美しい歌声に大満足。他には大ベテラン・折江忠道が艶のある声で現役ぶりを見せつけたのに驚いた。そして、小貫岩夫や大沼徹といった主役級の歌手が達者な演技でプロダクションを盛り上げたことも付け加えておきたい。やはりオペレッタは、「歌」と「演技」の両方が重要だと改めて痛感した。

 面白かったのはカーテンコール。バレエダンサーのデュエットに始まり、各役が銀橋に出てきて主要ナンバーを歌う宝塚風のグランドフィナーレで、客席は大盛り上がり。最初から最後まで「関西風のサービス精神」に楽しませてもらった舞台だった。

2021年7月24日、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール。

 

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