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声とオーケストラが描き出すドラマを堪能〜【Opera】神奈川フィルハーモニー管弦楽団『サロメ』(セミステージ形式)

 このところ『サロメ』づいている。昨年は東京交響楽団の演奏会形式、そして今年は新国立劇場での舞台上演に続いて、神奈川フィルハーモニー管弦楽団がセミステージ形式の上演を行った。本公演は京都市交響楽団と九州交響楽団との3オーケストラによる連動企画である。劇場の共同制作による企画は全国共同制作オペラをはじめこれまでにもいくつかあるが、オーケストラ主体の共同企画というのは珍しい。昨年から神奈川フィルの第4代音楽監督に就任した沼尻竜典のプロデュース力によるものと推察する。

 その沼尻のオペラ指揮者としての実力を、今回の『サロメ』は如実に表すものとなった。そう、確かにこれは「オペラを聴く」という体験の中でも極上のものだった。セミステージ形式(や演奏会形式)によるオペラとはこいういうものではなくてはならない、という理想型だったのではないだろうか。リヒャルト・シュトラウスの音楽はただ大音響なのではなく、細かいレイヤーが重なっているような繊細な響きが必要だが、沼尻はこの緻密なレイヤーの積み上げをオケに要求し、神奈川フィルはそれに十二分に応える演奏を繰り広げた。これまで何回か定期演奏会を聴いているが、やはりこのコンビ、相当相性がいい。指揮者のやりたいことが的確にオケに伝わり、そしてそれを実現できる力がオケにも備わっている。その意味では、神奈川フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラの実力をはっきりと示す演奏でもあった。

 一例を挙げれば、第4場のユダヤ人たちの神学論争シーン。どうしてもここは、ただわあわあと騒いでいるだけ、という印象を受けやすいのだが、それぞれの声のレイヤーがはっきりと聴こえてきて、さらにそれをオケが下支えをするというオペラにおけるアンサンブルのあり得べき姿を聴くことができた(小堀勇介はじめユダヤ人を歌う5人は5人ともに主役を張れる人たちばかりだったのもすごい)。だからユダヤ人たちのこの論争がいかにバカバカしいものなのか、そしてサロメはそれをいかにうんざりしているのかがよくわかる。このシーンがこれほどクリアに聴けた演奏は、初めてだったかもしれない。

 歌手陣では、なんと3日前にジャンプインしたというヘロデの高橋淳に最大限の賞賛を贈りたい。楽譜を置いての歌唱だったが、それがまったく気にならないほどの素晴らしいできばえ。伸びやかで安定した高音は彼の持ち味だが、それが存分に発揮されていた。また、畏れに裏打ちされた躁状態というヘロデの心情、子どもじみた為政者というキャラクターを見事に表現した演技力にも舌を巻いた。

 タイトルロールの田崎尚美は、サロメが「少女」であるということをはっきりと打ち出していた。トゥーランドットやクンドリを歌う人で、もともと声のボリュームは申し分ないが、今回はヴィブラートを極力廃した高音のピアニッシモの美しさが印象に残った。そこからは、腐った大人たちの中で痛々しいほど真っ直ぐに生きている少女の、折れそうで折れない芯の強さが伝わってきた。やはりサロメは「聖女」でも「悪女」でもなく、愛に飢えたただの「少女」なのだ。このサロメ像は現在の主流でもあるのだろう。

 声とオーケストラが描き出す『サロメ』というドラマを心から堪能した100分。1回公演なのがもったいないほどの濃密で、質の高い音楽だった。歌手はそのままに、7月15日は京都、そして27日は福岡での公演が待っている。オケが変わってどのような演奏になるのかも楽しみだ。

2023年6月24日、横浜みなとみらいホール大ホール。

 


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