見出し画像

ふたつのカルメン〜【Opera】オペラ彩第38回定期公演『カルメン』、ムジカルダ『カルメン』

 2021年はビゼーの『カルメン』をたくさん聴いた年だったが、年末に2つの舞台上演を鑑賞。ひとつは12月18日に和光市で行われたオペラ彩公演。そしてもうひとつは12月27日に熊谷市で行われたムジカルダ主催による公演である。タイトルロールは両公演とも鳥木弥生が演じた。おそらく日本で今カルメンを歌わせたら右に出る者はいないのではないか、と思わせるほど役を自分のものにしている鳥木。まったく違う演出で違うスタイルの舞台だったが、解釈の違うカルメン像を見事に演じ分けていたのはさすがである。

 オペラ彩は舞台装置や衣裳もあるきちんとした舞台上演で、合唱は桐朋音楽大学や放送大学埼玉学習センター合唱団などによるオペラ彩合唱団。佐藤正浩の指揮でオーケストラはアンサンブル彩(その中核を担っていたのはおそらく佐藤主宰のThe Opera Bandだと思われる)。フランスものに定評のある佐藤の指揮だけに、力みのないオーケストラから立ち昇ってくる軽やかで香り高い音楽は、合唱の脆弱さを補ってあまりあるものだった。コロナ禍での上演とあって合唱は最低限の動きしかできず、代わりに東京創作舞踊団のメンバーが助演として登場、舞台にメリハリを与えると共に、各幕の前奏曲や間奏曲でホセやエスカミーリョを思わせるダンサーがそれぞれの心情を踊りで表現する。
 演出は直井研二。直井演出は、ホセの心情を細やかに描き出すことを主眼にしていたようだ。その目論見は大成功で、樋口達哉の巧みな心情表現には、たいへん見るべきものがあったと思う。そもそもホセという男はミカエラと結ばれるべきであり、故郷の土に根ざしたある意味で平凡な生活にこそ彼の幸福はあったはずだ。だがカルメンと出会ってしまったために、人生のが一変する。それでも、物語の中でホセには何度か本来の人生に戻るチャンスが与えられている(第2幕リリアス・パスティアの酒場でカルメンと諍いをする場面では「アデュー」という別れの言葉さえ口にする)。だがそのことごとくを振り切って悲劇への道を選んでしまう。そんなホセの姿からは、人間というのはそんな風にダメな方、ダメな方を選んでしまう瞬間というのがあるよなあ、ということを思い知らされる。
 ところで、当のカルメンの方はどうだったのだろうか。ホセとのことは、「6ヶ月持たない」という彼女の恋愛遍歴の1ページにすぎなかったのだろうか。この舞台で注目したのは、ラストでホセに刺される間際のカルメンの表情だ。せつないような、哀しいような、なんともやるせないその顔からは、カルメンもまた、ホセと結ばれるべきはミカエラの方であることを知っていた、知ってはいたもののホセを愛することを止めることはできなかったし(それが彼女の信条だから)、だから今その報いとしてホセのナイフを受けるのだ、というような心の動きが感じられた。ホセといいカルメンといい、人間が「生きる」ことの複雑さ、残酷さ、愛しさを感じさせる舞台であったと思う。

 ムジカルダ公演の方は、オーケストラ・ピットのないホールで行われたため、舞台上にエレクトーンが設置され清水のりこが演奏を担当した。ホールがやや響きすぎるために最初こそ少し違和感があったものの、進むにつれそれはまったく気にならなくなった。エレクトーン1台とは思えないほどの多彩な響きと表現で見事にオペラの音楽を現出させる清水の力には、毎回惚れ惚れとするばかりだ。合唱団はなく、児童合唱のみ(熊谷少年少女合唱団、熊谷少年少女合唱団Fiore)が出演。その代わりソリストの数を増やして合唱パートを演奏するスタイルで、そのためいくつかのシーンやナンバーはカットされている。
 こちらのホセは又吉秀樹が演じたが、ホールいっぱいに響き渡る輝かしい高音を大いに堪能させてもらった。カルメンは、クルクルと表情が変わるとても「かわいい女」。ホセに恋をすればホセ一筋に突っ走るし、飽きれば鼻もひっかけない。そして次はエスカミーリョに一直線。とにかく「恋」というものだけに自分のエネルギーのすべてを注ぎ込んでいるような女性だ。だから、色々なものに縛られているホセが彼女に恋をしてしまうのは仕方がないな、と思わせる。
 演出は太田麻衣子。アルコールスプレーや「飛んで埼玉」のポーズを取り入れたり(熊谷は埼玉県である!)と、笑いの要素をふんだんに散りばめたもので、初めてオペラを観る人にも楽しんでもらえるようにというサービス精神が垣間見えた。とはいえ、ただ楽しいだけではない、押さえるべきところは決して外さないのが麻衣子演出。特筆すべきはラストシーンの描き方にあった。ここでホセは、ほとんど茫然自失ともいうような状態で、おそらく自分が何をしているのかもわかっていないのだろう。それは「恋」がそれほど彼の奥深くにまで傷を残してしまったからだが、闘牛場から例の闘牛士の音楽が高らかに聞こえてくると、ここで子どもたちが楽しそうに駆け出してくる。ホセは彼らにぶつかり、転びそうになりながらもカルメンから視線を外すことができない。この場面の恐ろしさと悲しさ!カルメンが抱えていた何十本もの真紅のバラが地面いっぱいに散らばり、ホセはカルメンを抱きしめると背中からナイフを突き刺す。男と女の「愛と死」を視覚的に見せる効果的な演出だった。
 視覚、といえば全幕を通して背景に荒井雄貴によるプロジェクションマッピングが施されていたが、これがとても美しかったことも書いておきたい。今や舞台装置の代わりにプロジェクションマッピングを用いるのは定番になっているが、ただの代替え装置ではなく、ヴィジュアル的な美しさを感じさせ、なおかつ舞台の一要素として効果的に機能している例はそれほど多くないが、今回は見事に活きていたと思う。

 『カルメン』というオペラのすごいところは、一つとして「捨て曲」がないところだ。どのナンバーも、間奏も後奏さえも美しくて心に刻みつけられる。ビゼーの天才のなせる技だが、この音楽の素晴らしさがあればこそ色々な演出が可能になるのだ、ということを年末の2公演で再確認させてもらった。本当にすごいオペラだと思う。来年はどんなプロダクションでどんな音楽が聴けるのか、楽しみだ。

2021年12月18日、和光市文化センター大ホール サンアゼリア。
2021年12月27日、熊谷文化創造館さくらめいと 太陽のホール。

皆様から頂戴したサポートは執筆のための取材費や資料費等にあてさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします!