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【Concert】小林沙羅ソプラノ・リサイタル

 昨年11月20日にリリースされたサードアルバム「日本の詩(うた)」のリリース記念として3月に行われるはずだったソプラノの小林沙羅さんのリサイタル。ようやく8月に開催されました。ちなみに新型コロナ禍でどうしても会場に来られないという方のためには、当日は「リビングリーム席」が販売されてネット同時配信もされました(8/31まで見逃し配信も行われています)。

 1曲目、武満徹「小さな空」を歌い終えた沙羅さんがご挨拶。その中で、舞台で観客の前で歌うのは半年ぶりだということを明かし、この間の自粛生活の中で自分がいかに音楽が好きか、生きるために音楽が必要なのかということを感じたと話しながら涙ぐむ場面も。その言葉通り、「歌が歌えることが嬉しい」という気持ちがストレートに伝わってくる演奏会でした。

 プログラムはニューアルバムの収録曲を中心にしたもので、山田耕筰から越谷達之助、早坂文雄、滝廉太郎、橋本國彦、宮城道雄、武満徹まで、日本を代表する作曲家たちの作品がずらりと並びます。何よりも沙羅さんの日本語の発音の美しさが耳に飛び込んできます。それは時に聞き手に語りかけるように、また時には挑発するように、音楽によって表情を変えていきますが、その美しさはすべての曲に共通していました。

 これまで「小林沙羅」というと、例えば『フィガロの結婚』のスザンナに代表されるような、明るく利発で清々しい女性のイメージでしたが、今回のリサイタルを聴いて、実は非常に演劇的な表現の要求される楽曲でその真価が発揮されるということに気づかされました。例えば前半最後に歌われた中村裕美「智恵子抄より」は、高村光太郎の『智恵子抄』から3曲が選ばれ作曲された一種の連作歌曲ですが、詩の背後にある様々な感情や物語が実にドラマティックに表現されていきます。また橋本國彦「お六娘」では、笑いながら飛び跳ね、踊りながら恋をするようなお六娘のキャラクターを、ただ声だけによって描きだすことに成功していました。実は後半は、時広真吾プロデュースの衣裳を何着か着替え、また橋本國彦「舞」では日本舞踊の踊りを取り入れるなど、ヴィジュアル的にも楽しませる作りになっていたので思わずそちらに目を奪われてしまいがちでしたが、私には、むしろヴィジュアルを超えて伝わってくるキャラクテリスティックな作品における小林沙羅の「歌唱力」に大いに感銘を受けました。「歌う女優」といえば世界ではナタリー・デセイですが、「日本の歌う女優」の称号をさしあげていいのではないでしょうか。

 宮城道雄が多くの声楽作品を残していたという事実は知っていましたが、今回ほぼ初めて、きちんと聴くことができたのも良かった。学生時代から沙羅さんが参加しているVOICE SPACEというユニットの代表である澤村祐司さんの箏、そして見澤太基さんの尺八とソプラノの歌声の融合に「日本歌曲」のまた別のすがたを見た気がします。コンサートの最後に歌われたのは、谷川俊太郎が書いた詩に沙羅さんが曲を書いた「ひとりから」(日本初演)。「歌を通じて繋がっていたい。音楽にはその力がある」という沙羅さんのメッセージが強く伝わってくる曲でした。そしてアンコールは、ピアノの河野紘子さんに箏・尺八も加わった全員での「ふるさと」と、小林沙羅作詞・作曲の「笑顔の花」

 歌い手にとって「歌えない」ということがどれほどの苦痛だったのか、そして今再び「歌う」ということがどれほどの喜びなのか。私は歌い手ではないので想像するしかありませんが、舞台の上で全身を使って歌う小林沙羅さんを見ていると、その思いが耳から直接心に染み込んでくるようです。そして聴き手である私自身もどれほど「歌」を、「音楽」を渇望していたのかを思い知らされました。コロナ禍という未知の厄災に見舞われている世界が、どうか少しでも良い方向に進むように。音楽が、再び世界を満たす日がくるように。祈る気持ちでホールを後にしました。

2020年8月10日、浜離宮朝日ホール。

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