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親密な空間で、幸せについて考える〜【Stage】ミュージカル『ソーホー・シンダーズ』

 ミュージカル『ソーホー・シンダーズ』は、作曲家ジョージ・スタイルズと作詞家アンソニー・ドリューのコンビにより2012年にロンドンのソーホー劇場で初演された作品。日本では2019年に初演されたが、アンサンブルキャストなし、10人だけのカンパニーによる「日本版」は好評を博し、今回再演に当たってもそのスタイルは踏襲されている。とはいえ、2019年から今までの間に、私たちの世界は未だかつてない厄災に見舞われるという経験をしている。「2021年の日本で上演される意味のある舞台」を作り上げたいという制作サイドの言葉からもわかるように、ジェンダーの問題やコロナ禍によるディスコミュニケーションなどを背景にしながら、「人にとって本当に大切なものは何なのか」を問いかける舞台となっている。

 ストーリーは、亡き母が残したコインランドリーを営む貧しい青年ロビーと、ロンドン市長候補の若き青年ジェイムズ・プリンスとの愛が描かれている。舞台となっているソーホー(ロンドンの劇場街であるウエストエンドの一角)のオールド・コンプトン・ストリートは、1980年代頃まではゲイ・コミュニティの中心地だったそうで、実際さまざまなマイノリティたちが登場するシーンもある。

 この物語の特徴は、登場する人たちが皆、それぞれに何がしかの「痛み」を抱えていること。ジェイムズを愛しながらも年上の貴族ベリンガム卿から金銭的援助を受けているロビー、ロビーを愛しているのにマリリンという婚約者がいるジェイムズ、ジェイムズに何か秘密があるのを感じながらも彼との二人三脚の人生を信じているマリリン、シングルマザーでロビーの”良き親友”である(が心の底ではロビーを思っている)ヴェルクロ、そして物語の進行役を務めるサーシャは自分の人生を始められないでいる中途半端な存在…。それはまさに、オールド・コンプトン・ストリートに多種多様な人種、職業、性的指向、バックグラウンドを持つ人々が暮らしていることと呼応している。「普通になりたい」では、ロビーとヴェルクロが、好きな人と一緒に暮らして、たまには食事に出かけて、手を繋いで歩いて、という「普通」のことがなぜできないのか、と歌うが、このナンバーは逆説的に「普通」という言葉がいかに多くの人を阻害し、幸せを掴みにくくしてしまっているのかを表している。そしてそれは、コロナ禍の中で、これまで「普通」「当たり前」だと思ってきたことが実は決して当たり前ではなく、目に見えない努力の果てに勝ち取ってきたものだということを思い知らされた私たちにとっては、非常に心に響くテーマだ。

 東京公演がスタートする前に、私はジェイムズ役の松岡充さんにインタビューをしたが、そこで彼はこのミュージカルは「普通の人の普通の幸せの物語」だと言い、また、ジェイムズという人物に、単純に正解・不正解を決めることのできない人間の本質をみる、と語ってくれた。「ソーホー・シンダーズ」とは「ソーホーのシンデレラ」という意味で、シンデレラ・ストーリーである以上最後にはロビーとジェイムズは結ばれるのだが、そこに至るまでの葛藤や苦悩、そして彼らふたりを取り巻く人たちの「痛み」が丁寧に描かれているからこそ、人間にとって人を愛するということがどれほど大切なのかが伝わってくる。

 紀伊國屋サザンシアターという比較的規模の小さい劇場空間で、10人という小編成のキャストによって演じられたことは、作品のテーマを伝えるのに非常に効果があったと思う。舞台上には、立方体の洗濯機がいくつか置かれており、キャストは時にそこの上に立ったり、またそれを積み上げたりしてさまざまなシーンを作る。大きな装置の変換がないのでテンポよくストーリーが進んでいき飽きさせない。
 音楽はわかりやすくとても魅力的。ロビーの林翔太は好感度抜群で、また悩む演技もよかった。松岡充はさすがにオーラが違っていて、時おりアドリブも交えながら客席の視線を一気に掴む演技力・歌唱力はスターの名にふさわしい。そのほかのキャストの中では、ヴェルクロを演じた豊原江理佳が印象に残った。歌唱力、という点でいえばまだまだ研鑽は必要だと思うが、持って生まれた声の魅力と歌のセンスは抜群で、彼女が歌うと空気の色が変わる。また舞台で聴いてみたいと思わせる人だ。全体的にキャストのまとまりはよく、カンパニーとしての成熟度が高いと感じられた。親密な空間で物語を堪能した2時間半。とても幸せな気持ちになって劇場を後にした。

劇場に飾られていたジェイムズ・プリンス(松岡充)の写真。毎日スローガンが変わる。この日は「弱い犬程よく吠えるというが本当に弱いのはそれを隠れて見てる傍観者である。傍観者にはなりたくないね。」


2021年12月1日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA。


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