シャンデリア

【Concert】白石敬子ソプラノ・リサイタル

 日本人初のウィーン国立歌劇場専属歌手として知られる白石敬子のデビュー50周年記念リサイタルが紀尾井ホールで行われた。プログラムはシューベルト、リヒャルト・シュトラウス、ブラームス、ヴォルフのリートと日本歌曲。ドイツ・リートは白石が生涯をかけて歌ってきたライフワークである。以前、インタビューをしたとき、白石はドイツ・リートについてこう語っていた。

 「リートには歌い手の人生や思想が表れます。同じ曲を歌っても、20年前と今とでは表現がまったく違う。今回、50年をかけて育んできた完成品を用意したという自信はあります。」

 その言葉通り、この日のパフォーマンスは素晴らしいものだった。まず彼女のドイツ語の発声が美しい。ウィーン国立音楽大学で学び、ウィーン国立歌劇場を中心に長年世界で活躍してきた人だから当たり前なのだが、なんというか、日本人がドイツ語の歌を歌っている、という感じがしない。とても自然なのだ。そして、声。こういう声を「気品にあふれた」というのだろう。ノーブルで香り高く、しかも静謐である。日本人ソプラノでこういう声の持ち主は稀有ではないだろうか。さらに、それぞれの歌曲の様式を完璧に理解し、歌い分けることのできる実力。シューベルトとリヒャルト・シュトラウスとブラームスとヴォルフでは、語法も、音楽観も、着想も、もちろん表現もすべて異なる。2時間弱のリサイタルでそれをきちんと歌い分けられるのは、やはり才能と経験のなせる技だろう。まさに「50年かけて育んできた完成品」である。

 しかし、実はここで私が本当に伝えたいのは、そうした歌唱の技術面ではない。彼女の歌から何が伝わってきたのか、ということだ。上手い歌手はいくらでもいる。美声も、豊かな声量も、特に最近の若手歌手には舌を巻くような人が少なくない。しかし、白石敬子の歌は、凡百の歌い手がとても及ばないような境地に達している。そこからは、「人生」とか「魂」としか言いようのないものがきこえてきたのだ。例えば「日本のステージで披露するのは初めて」という日本歌曲からは、彼女の生きてきた道のり、特に2年前に急逝した夫・白石隆生との二人三脚の音楽人生が感じられた。小林秀雄の「落葉松」で「私の心も濡れる」と歌われたとき、音楽は微笑みながら泣いているような表情を見せていた。また、ヴォルフの「ミニヨン」からの4曲にも、気軽に海外旅行などできなかった時代に遠い異国で学び、苦労をしながら音楽の道に邁進してきた女性のすがたが重なり、まるでミニヨンという女性が主人公のオペラを観ているような気持ちにさせられた。

 アンコールでは、愛唱してきたという「浜辺の歌」と、そして「ウィーン、我が夢の街」を披露。そこから感じられたのは、白石敬子という歌い手の音楽への愛である。おそらく多くの犠牲を払いながらも、歌い手として音楽にすべてを捧げてきた、その献身である。「ああ、この人はなんて音楽を愛しているのだろう!」と感じながら、私は流れ落ちる涙を止めることができなかった。こんなにも全身をふるわせられるような音楽体験にめぐりあえた感謝を白石敬子さんに捧げたい。

2017年10月21日、紀尾井ホール。

※WEBぶらあぼに掲載された白石敬子へのインタビューはこちらから。

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