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文脈とあなたが愛おしい

今日はグリーンズの仕事始めだった。
昨年から、仕事始めの日にメンバーそれぞれ抱負を語り、新年のご挨拶記事をがでることになっている。
私はざっくりこんなことを話していた(頑張って生きよう。)

事業を成り立たせることは、金銭的な安心もあるしチームの達成感ももちろんあるんだけど、やっぱ何より「未来つくろう」って人がどんどん暮らしや仕事をかえること、同じ場所でもあり方を変えていこうとすることが一番の価値なので、出会う機会を増やしたいわけです。はい。

この前書いた日記のように。私は現在地にいる自分と、過去私に遠い人達がみた景色、自然の様相、道のりを たまに辿りたくなることがある。
過去は、「昔」はもちろん「今から先の未来」が見える瞬間がある。それは私だけでなくて、友人や仕事仲間、家族それぞれが辿ってきた道でも同じだ。

話は変わるが、ムサビ勤務時に、企画展を運営していたことがある。
同僚である現代美術作家と、彼の作品を展示するギャラリーの方のインタビューを行った。そこでギャラリーの方が話した言葉が実に印象的で、最近よく思い出している。

私たちは、美術史のどの文脈に彼(の作品)を立たせるか、いつも考える。


これは作家だけでなく、ほとんどの人が、どう今の興味関心に、暮らしにたどり着いたか、本人達から折に触れて語られる「モヤモヤ期」「転換期」「大事な人達と出会った瞬間」を辿っていけることができる。

グリーンズにからめていうと、「ソーシャルデザイン」と一言で言っても、みんながそれぞれ、辿り着いた文脈は思ってたより広いし、思ってたより地層が積み重なっているものだと思う。(わりと2000年代の話として語られやすいんだけど、私はもっと広大だと思っているし、それをちゃんと証明したい。文脈厨としては←燃えてきた)

クラクラするような営みの今ここに、あなたがいるんだなあと思うとたまらなく愛おしくなるし、辿ってきた道を全力で肯定して、肩を組みながら一緒にまた進んでいきたいんだ。いつか私たちが辿ってきたけもの道を、探してくれる未来の友人が現れると信じて。

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