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私たちの「学び」が向かうところ

NPOグリーンズ(greenz.jp)が運営する「グリーンズの学校」の運営に携わって、2年が経った。3年目!!!

グリーンズのスクール事業自体はとてもシンプルな構造である。
greenz.jpの取材先をゲスト講師に迎えて、読者が自身の興味関心のあるテーマを学ぶこと。この学びは、私たちの大きな目標である「ほしい未来をつくる」人を増やしていくことに直結している。

裏テーマとして、ゲスト講師はもちろんクラス運営の授業コーディネーター&ファシリテーターが、ビジネスパートナーやコミュニティにつながる人と出会うことも大事にしている。各クラスの運営メンバーのおかげでスクール事業は成り立っているし、人や場のつながりがお金とそれ以上の関係価値にならなかったら教育事業はやっちゃいけないと思っている。本当に。

今期はようやく昨年の売上の2倍になった。
開催クラスが昨年より+10増えたこと。一つ一つの参加人数が微増したこと(参加人数が少なくても、催行したことも要因として大きい)受講料の見直しも図ったことも理由に入る。「まだまだ事業としてできること、たくさんあるなあ」と数字とクラスの様子両輪をにらめっこしながら最近過ごしている。
この辺は詳細は、2月の正会員総会でちゃんと話します。

そしてそして。
「そろそろ事業をやっていく上でのメッセージをあらためて考えたいよね」と、年末からメンバーと話していたので、書いては消すをここ2年ぐらい続けているこのnoteに、2018年は週一ぐらいで備忘録を残したい。
(さっき2017年に書いていた殴り書き全消しした気持ちいい。)

まだうまく言語化できていないけれど、学生や社会人といった社会的区分も、年齢的区分も飛び越えて、私たちの周りには「学びが」溢れている。
この「学び」はこれから先、私たちがこの世からいなくなる時、そしてその後も、どういうあり方になるだろうか、どういうあり方にしたいかがすごく気になる。

私の中での「学ぶこと」の感覚は「つくり続けること」に近い。

例えば粘土でカバをつくってみようとしているけど、理想のカバを作りたくて「ああでもないこうでもない」ってつくっては壊し、つくっては壊しているような。スポーツがほとんど苦手なので例えがしづらいけれど、「今日はどこに重心を置いて動いてみよう」とかそういう感覚も近いと思う。
頭でウンウン唸っているよりも、もう少し身体性を伴っている。

あと「本当にこれでよいのだろうか」という怖れを、いつも伴っている気がしている。逆を言えば「そこそこのもの」ができてしまう・受け取れてしまう・評価できてしまうことは、本当に私たちにとって生きやすいのか?私は結構疑問である。このまだ漠然とした身体性を伴う「学び」が向かいたい先を、事業を動かしながらこの1年はじっくり考えたい。ちょうど日付変わって2018年1月1日。

そしてパウロ・フレイレ氏の「被抑圧者の教育学」とか、佐藤学氏の「学びの身体技法」ちゃんと読み直そう。


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