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私がちょっと得意なこと

最近、細やかな気遣いなど「サポート力」を褒められることが増えた。そう言われてみると確かに得意かもと感じる。


その背景にあるのって、いじめられた経験なのかな?と思うので、書いてみたいと思う。


中学校の入学してすぐ、学年の中心的な男子に「かわいい」と言われて、いきなり目立ったことから、女子たちから嫌がらせを受けた。
その後も中学時代は、目立ってしまったことで始まるいじめが度々起きた。


ダイレクトに「キモい」とか「うざい」って言われるのはつらかったけど、「なんで私よりブスに、そんなこと言われなきゃいけないんだ!私はキモくない!」とか心の中で反論できたからまだよかった。


だけど一番辛かったのは、やっぱり存在を完全に無視されること。
特に音楽とか移動教室の時に、みんなはグループで楽しそうに移動するのに、私だけ1人でとぼとぼ歩いていくこと。
クラスの人は、私がハブかれていることをみんな気付いているからもうしょうがないんだけど、廊下にいる他のクラスの人たちに対しても、「私とは誰も一緒にいてくれないかわいそうな人です」って言いながら歩いているみたいですごく悲しくて惨めに感じた。何で私はここにいるんだろうって消えたくなった。


今思うと、本当自意識過剰なんだけど、幼稚園からいつも中心的な存在で、目立つこと、話題の中心になるのが当たり前と思っていたから(実際はわからないけど、そう感じてた)、「いつもみんなが私に注目してる」って本気で思ってたんだと思う。


だから、中学に入って私の人生の中で大きなカルチャーショックが起こった。
【私は、人に好かれる存在】
と信じて疑わなかったのに
【私は、人に嫌われる存在なのかも】
という疑念が混じるようになった。


そこからは、意図せず嫌われたり、無視されたり、もうあんな惨めな思いをするのはまっぴらごめんだ!と、
人の声色や顔色、雰囲気にアンテナを張って、場の空気を読んだ言動に気を張っていた。


気付けば、「人に好印象を与える私」を演じることにエネルギーを注ぎ、この人にはこのモード、あの人にはこのモードと自然と使い分けることができるようになっていった。


いつもここまで気付くと、辛かったよね、いつも人に合わせて苦しかったよね。と悲劇のヒロインモードだったんだけど、、ここから先が新たな気付きで、


人によってモードを変えるは、多分生まれた時から当たり前にやっていた。
長女や次女を見てると、この人は自分の言うこときくなって思うと、簡単に声色とか態度を変えている。
昔から親に、あなたは甘え上手とか、人を使うのが上手いと言われてきたし、自覚もある。
だから、ずっと自然とやってきたし、これからもついやってしまう特性なんだろうなって思う。


きっと子供の頃は、「本当に自分が欲しいものを手に入れる」ためにだったけど、「リスク回避のため」も追加されただけのこと。


だけど人間は「快」より「不快」を避けたい生き物だから、「もうあんな思いは2度としたくない!」という、人生史上最大の「不快」を避けるためのミッションのために、めちゃくちゃ細かく神経使って腕を磨いてきたんだと思う。


だからコミュニケーションを取る中で、相手に嫌われそうな「リスク」がないかな?と常にアンテナを張り、そのリスクが問題化される前に先回りの対処をする術が自然と身に付いていった。


会社員時代、まだ関係を築けていないお客様から「この子は事務職だから、細かい話しをしても意味ない」って思われてるなと思うのが一番悲しかった。私はここにちゃんといるのに、存在していないみたいに扱われている気がした。


そうなると存在感をアピールするスイッチがオン!


随所でマニアックな情報を小出しにして、「ちゃんと詳しいことも理解してます」アピールをし続ける。
すると相手が、「この子ちゃんと知ってるのかも?」と確認や試してきたりする。それをクリアすると「「じゃあもう少し相談してみよう」と心を開き、信頼してくれたりする。その積み重ねの先に強い信頼関係が生まれていった。


この信頼関係こそが私にとって、「この人に存在を認められた」と安心感につながり、原動力になっていたんだと思う。


つまり、ひとりひとり、シーンに合わせて、みんなと信頼関係を築くことが、結果的に得意になったんだと思う。


スタートは、嫌われたくない!無視されたくない!安心したい!だったとしても、結果的に繋がった信頼関係の先に、お互い気持ちよく想い合って、その想いがパワーとなりパフォーマンス高く仕事できる空気感を、たくさん経験してきたからこそ、信頼関係を強く結ぶってみんなにとってすごくいい事だよね?と本気で信じているし、ちょっと嫌なことを言われたとしても、その先を想像しながらめげずに自分から積極的に信頼関係を結ぼうと全力で努力してきた。
(もちろん好きな人とは、より積極的にだけど!)


その、人と深くつながろうとする過程が、人から見たら、細やかな気遣いにうつるのかもしれない。


いじめられてよかったなんて思ってないし、やっぱりあれは理不尽だった!と思うところはたくさんあるんだけど、多分あのまま生きてても、きっとどっかで別の形で壁に当たってたような気がする。(幼稚園時代、先生からピラミッドの頂点って言われるくらい、女王様気質だったから)


結果的に、人と深くつながる心地よさ、深いつながりから生み出される仕事の面白さをたっぷりと知ることができて、ここが私の土台であるって嬉しいなって思う。


やっぱり人間タダでは転ばないって事だよね。
どんな時も、何かしら気付いて学んで勝手に糧にしていくのね。

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