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調和のための「フラクタル・コミュニケーション」

私たち人類は、言葉や文字、音楽やさまざまな方法で、コミュニケーションをはかり、さまざまな考え方で人々の調和と平和を作ろうとしてきました。

しかし未だ、世界中で差別や争い・意見のすれ違いが、起こり続けています。

そんな中で、私たちはこれから、どのように他者と付き合い、どのようにコミュニケーションし意思の疎通を実現していけば良いのでしょうか。

調和の世界をつくるため、私たちは何に気づいて行けば良いのでしょう。

そういったことを考え続けて30年近く経ちました。私がこれまでに、考え気づいてきたことを、これから、少しずつシェアしていきたいと思います。

共感くださった方は、ぜひこの考え方を実用していっていただけたら幸いです。

・人は主観でしか世界を見ることが出来ない
・日頃 使っている客観視点や、世界を認識する力の正体
・私たちの見ている「内側」の世界と「外側」の世界
・みんな主観世界を生きている
・相手や世界を正確に捉えるために「マルチメッセンジャー人間学」

人は主観でしか世界を見ることが出来ない

人は、世界を捉えるとき「認識」の世界から出ることはできません。

私たちは、この世界にある「物」や「出来事」を、体の様々な感覚器官を通して感知して、頭の中や心の中で体験や知識や想像などの情報を蓄積させ、それを融合することで自分の中に「世界観」を再現し、それを「世界」として捉えています。

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この世界にあるもの、石や植物・動物、コップやペンや家、他者、その他さまざまな物質(分子や粒子)で世界は作られていて、私という存在は世界の一部である。

・・・と、「認識」している。

何をどう観測しても、人は「認識=意識(心・頭)」の世界を経由して物理的世界を認識することしかできないので、私たちは「意識」の外側に出ることができません。

つまり私たちは「主観視点」でしか世界を見ることができない存在なのです。


日頃 使っている客観視点や、世界を認識する力の正体

私たちは、自分の後頭部を自分で見ることはできません。

でも、私たちは、自分にも後頭部や背中があって、地球上にいる人間という生き物であることを理解していて、フカンの視点で自分を客観視することが出来ます。

自分が他者の後ろ姿を見ているように、他者からの視点で自分を見ていると想像した時、私たちは自分の後ろ姿を客観的視点で想像することができます。
鏡や写真や映像があれば、リアルな自分の後ろ姿を目で見ることも可能ですが、それも、鏡やカメラの視点を借りて、自分自身の認識を使って客観的しているということです。

私たちは、「意識」という質量のない世界に、無限の想像力をもって「世界」を写しているということです。

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私たちの見ている「内側」の世界と「外側」の世界

私たちが世界を認識している「意識の世界」は、言い換えれば頭と心の世界「精神の世界」です。自分が見ている「前」の世界。主観の世界。視覚情報や感覚情報、知識的情報。

そして、自分の目では見ることができない「後ろ」の世界。客観の世界。物理的観測ができる世界。こちらは、言い換えれば身体の世界「物質の世界」です。

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私たちは、自分の「前」側の、こころで見ている精神世界と、「後ろ」側の、見られているからだの物質世界を、両方持っていて、ぐるりと周囲を見回すと2つの世界も同時にぐるりと回ります。

前は常に前側に無限に広がっていて、後ろは常に見えない世界なのです。

私たちは、物質世界を自分の目で見ていると思っていたので、物質世界の方を「前」だと思いがちですが、実際には物質世界を直接見れてはいないのです。

みんな主観世界を生きている

ひとはみんな、世界を自分独自の「認識フィルター」を通して見ているために、人それぞれに認識が変わってしまうのです。

よく、人間は一つの宇宙である、という比喩が使われることがありますが、それだけ人の認識の世界観は、別次元の宇宙かのように違うという風にも捉えられます。

私は、人間は一つの「惑星」だ、と考えてみると良いと思います。

これは単なる比喩ではなく、実際に地球(惑星)という存在と、人間という存在は、フラクタル的に同じ構造を持っていると思うためです。

フラクタルとは、サイズが違っても同じ構造を持つ、自然界の幾何学的構造のことです。ブロッコリーの1節が全体の1株と同じ形をしていたり、木の全体像と枝の一部が同じ形をしていたり、物質の分子が太陽系と同じような形をしていること。


ひとは認識という内側の世界の中から、物質的な外側の世界を見ています。
認識はフィルターとなっているので、捉え方の個性が反映されていて、外側の像を自分視点に歪めてしまうことが起こったりします。

これは、惑星が大気を持っているために、地表から他の星を観測するときに、大気の揺らぎによって正しく像を結べないのと似ています。

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そしてさらに、他者は自分から見ると外側の世界にいて、相手も自分と同じように主観の世界からこちらを見ているのです。

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こういう構造の中で私たちはコミュニケーションしているために、自分なりに精一杯考えた言葉でも相手にまったく届かなかったり、真逆の意味で捉えられてしまったり、ということが起こってしまうのです。

相手や世界を正確に捉えるために「マルチメッセンジャー」

では、そんな「主観」でしか世界を確認することが出来ない私たちは、どうやって相手や世界を正しく捉えたり、コミュニケーションすれば良いのでしょうか。

それは、とてもシンプルなことで、気づかぬうちに歪んでしまっている認識に、「補正」をかけていけば良いのです。

私たちが相手を正しく認識できなくなってしまうのは、自分の認識という「大気」のようなものがあることを知らず、そして相手にも相手の意識という大気があることを知らずに、自分と相手は地続きの同じ世界観で生きているのだと思い込んでいるためです。

地球から宇宙を眺めて天体観測するとき、目で見える波長「可視光線」の他にも、さまざまな波長で観測します。
赤外線、紫外線、電磁波、重力波やニュートリノなどなど、さまざまな波長で観測しています。これを「マルチメッセンジャー天文学」と言います。
星からさまざまなメッセージをもらい読み解いて、その星の特性を知るのです。

私たちも、単純な見た目の情報や、見たままの印象、聞いた言葉を単純に捉えて解釈するのではなく、自分も相手も自分視点で言葉を選んでいることを加味しながら、相手の持つ情報をさまざまな角度から深く知っていく必要があると理解してコミュニケーションすることです。
それはつまり「マルチメッセンジャー人間学」と言えるかもしれません。

相手との向き合い方をはじめ、ほかにも自分たちの認識世界の構造や、言葉というものの性質、使い方などなど、いまよりもっと解像度を上げて認識し扱っていく意識を養うと良いのです。


私たちは、意識のすれ違い、認識の食い違いが起こると、なんでそんなふうになるんだ!と、イライラしてしまったり、悲しくなったり、攻撃的になったりと、いろんな不調和が起こります。

それはときに不条理に感じたり、悪意に感じたりして、処理できなくなった感情が爆発してしまうこともあります。

でも、それがなぜ起こってしまうのかを知っていたり、自分で調節することができたとしたら、そんな不調和は生じなくなってくるはずです。

人の怒りや恐怖心は、「わからない」がために起こりがちです。
わかることでおさまる怒りや恐怖心があるのなら、この考え方が人々の心の平和を実現し始めるかもしれません。



これから、ひとの意識の構造や、言葉の性質や伝わり方、などなど、私が長年考え気づいてきた、さまざまな世界の認識のしかたを、お伝えしていこうと思いますので、ぜひまた次回以降も読んでいただけたら嬉しいです。(*^-^*)ノ

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

  



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